ペットちゃんの仏事
超法寺では、ご家族の一員であるわんちゃん、猫ちゃん等を亡くされた悲しみに寄り添い、仏事をお勤めいたします。
超法寺では、ペットの葬儀、ペットの火葬式、そしてペットのご法事のご相談を受け付けておりますので、お電話、あるいはメールにてお気軽にご連絡ください。
【ペットちゃんの仏事の事例】
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火葬場に立ち合いし、お経『讃仏偈』をお勤めし、法話『ジャータカ物語』をしました。
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施主様ご自宅にて、ご家族の一員であった愛猫の四十九日のご法事をお勤めしました。『正信偈』を読経し、『御文章』を拝読、『〜あらゆる命を摂めとる仏さま〜』のご法話をしました。
-住職のコラム-
コラム1:「愛犬の死を経験して」
私は40歳の時に夕方いつものように愛犬(豆柴)と散歩へ出かけました。柴犬は首が細いからすぐ抜けちゃって危ないから、ドイツ製の絶対抜けない、外れない首輪を買っていました。しかしながらこの世に絶対はありませんね。首輪が抜けて愛犬は大通りを赤信号で渡ってしまい車にはねられました。忘れもしません。空中を二回転して道に落ちた。急いで私は大通りを渡って(赤信号だから危ない)愛犬を抱き上げたら、死臭のような息を感じました。家まで抱いたまま帰り、玄関前でガクッと息を引き取りました。 人生で目の前で愛するものが死んでいく初めての経験でした。 悲しみMAXで脇目も振らずに絶泣しました。人生であれほど涙を流したことはありませんでした。
そのあと、これも人生初のお通夜を私は愛犬のために勤めました。 諸行無常はどこでもなく、ここにありました。 翌日荼毘にふしましたが、ペットロスで仕事にならず、一週間、京都の西本願寺まで行き、聞法会館で泣きながらずっと仏法聴聞しました。聞いては泣き、泣いては聞いての繰り返し。 きっと、ご講師は不思議に思われたことでしょうね。 今更ながら、仏法聴聞こそ、悲しみ苦しみから立ち直ることができる最短の道だと断言できます。 ぼんやり聞くんじゃなくて、我がことと真剣に聞くことによって少しずつ、少しずつだけど確実に生きていくことの意味を知ることができると思います。 無駄などありません。 すべてには必ず意味があるのです。 わかったつもりではありません。 間違いないと受け取れるまで聞いていただきたいですね。 私は一か月、あちこちで仏法の聴聞を重ねました。
ペットロスからはペットが生きることの喜び、悲しみ、苦しみ、頼もしさ•••あらゆるものを教えてくださいました。 私の善知識です。
コラム2:「私にとって愛犬とは」
私にとって愛犬は、我が子のような存在であり、家族であり、仏さまのようなものです。 彼らあればこそ、あらゆる命にはたらかれる阿弥陀如来さまの大慈悲心が間違いないと知らされます。 私のためにある真のしあわせは、私に関わるすべてのいのちが私に気づきを勧めてくださいます。
今の愛犬は、もうかれこれ15年以上一緒に歩んできました。私の喜怒哀楽を全部見ていてくれます。ペットというよりも相棒だと思う。
優しく生きることの大切さを誰よりも彼らが私に教えていてくれます。 仏を嫌う、仏に逆らう、仏から逃げる、そういう機(生きているうちに未来仏になることが正に定まった仲間)こそが阿弥陀如来のお目当てなのです。 だから人間だけが阿弥陀さまのお救いではないと確信しています。