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執筆者の写真超法寺の住職

響いてくださいました

皆さま、こんばんは。

今日は越谷市までお参りしました。

元々は入間市で初めてのご縁で法事をいただいていましたが、同時刻にお参りとなってしまったため入間市のお参りはお手伝いの先生(お坊さん)にお願いいたしました。

超法寺は住職一人で切り盛りしているため、重なってしまうと代わっていただく他は手段がございません。もちろん私だって行ってお参りしたいのですが断れないお参り(察してくださいね)があるのです。ご法事を超法寺へご依頼される方にはなるべくいくつかの予定を考慮していただければ幸甚です。

当日が友引に当たる時は葬儀はありませんので問題ありませんが、そうでない特に土曜日の午前中は厳しいのです。どこのお寺さんもこの時間は厳しいのです。

超法寺もできれば午後2時以降に予定してくださると有難いとお伝えしています。

今日お手伝いしていただいた先生は、基本的にお願いしている方です。

広島県のご出身です。八王子のお寺さんに長くお勤めでしたが代替わりで退職されました。昔からのお知り合いでもありいつも助けていただいています。


さて、この度のご縁で火葬場でのお勤めが済んで喪主にご挨拶をしましたら、わざわざ見送ってくださり、「とてもよいお話をしてくださり嬉しかったですとにこやかに言葉をいただきました。」あまりないことでしたので驚きましたが良かったです。

わからなくても「必ず伝わるものだから安心してお話ししなさい。」と先輩が言ってくださった言葉の通りでした。私はいかなる状況でもさせていただくことはいつも同じであります。法の取り継ぎ🟰南無阿弥陀仏をお称えしながらの生活ですよ。

そうお伝えしています。

そういえばこの度の喪主さまも、口に南無阿弥陀仏と声にしておられました。

なかなか素直にお念仏が出てくださる方はいません。きっと故人の願いが届いていたんだと嬉しく思いました。

南無阿弥陀仏を我が口にいただいてお浄土へ生まれていくのが一番のご供養だと思います。言葉はちょっと違うのかもしれませんが、故人の願いは私が阿弥陀さまの願いを聞いて南無阿弥陀仏をお称えしながら毎日の生活を過ごしていくことだと思います。必ず浄土に生まれさせて仏にする仏が阿弥陀如来さまですから。

故人にも必ず再会することができます。先立たれての喪失感は私も経験しました。

でも、悲しい中にも南無阿弥陀仏を通して故人にお遇いさせていただけています。


この度も私は生前お会いすることのなかった故人さまに呼んでいただいたと思っています。私が呼ばれて何ができるのか、何をすべきなのだろうか、いつもそれを考えながらお勤めさせていただいています。もちろん初対面の方ですから伝わり方もそれぞれ違うでしょうし、受けてくださるものも違うとは思います。

だからこそ私の力など大したものではありません。

心配ありません。阿弥陀さまの大慈悲心が広大無辺ですから安心してまかせていいのです。「まかせよ救う。」と他力の信心を勧めてくださいます。

ですから私たちは、そのまま聞こえたまんまに南無阿弥陀仏と声にお称えさせていただければ用事は済むのです。亡き人は阿弥陀さまのお力で間違いなくお浄土の道を歩んでおられます。その世界を何もわからない私に悲しい死という場をもって教えてくださった故人はそのまま仏さまのおはたらきではなかったのでしょうか。

私はそのようにいただいています。

ナンマンダブツ、南無阿弥陀仏と諸仏の願いが届いています。

この世は無常だから生まれたら必ず終わっていかねばならない。しかしそれで終わるのではありません。終わるのは私ではなく、私に備わっていた煩悩具足が終わるのです。私そのものは阿弥陀如来の他力の願いのままにお浄土へ(天国じゃないぞ)参らせていただきます。行き先を間違えては故人が悲しむよ。


今日は素晴らしい仏縁に遇わせていただきました。

超法寺はこのような思いを皆さまと共有していくお寺です。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

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