皆さま、おはようございます。
新年も明け早くも半月が過ぎようとしています。昨年は元日に能登地方で大地震がありました。今年も宮崎県で大地震[震度5弱]が発生し0.2メートルの津波が発生しました。
どんなに今年は良いことばかりあるように祈願してもそうならない[無常]世界に身を置くお互いはなりようになる、なったまんまを生きねばなりません。
【無常迅速 生死事大】
心に置いて生きていきましょう。
浄土真宗のみ教えを仰ぐお互いは、南無阿弥陀仏を称えながら生きていきましょう。
さて超法寺も八年目に入りました。
一時、法務依頼が激減した上にお布施の単価も下がってしまうことで財政が厳しくなりました。まだまだ超法寺にはお支えくださる門徒さまが少ないため僧侶派遣業者からの斡旋に頼っています。
ですから、こちらというよりは業者さまの依頼にまかせていきながら精一杯勤めていくしかありません。ただお互いが人間でありますから、常に感情があり、その感情により良くも悪くもなってしまいます。
最近では少し私の語調が強いと感じるとすぐにクレームが入ります。
私は電話のやりとりで超法寺の「超」が相手に伝わらないことがたまにですがあります。
何度「超人の超です」と言っても伝わらない。
「長いの長ですか?」と言われてしまい、「いいえ超人の超ですよ〜」と強く言ってしまったら、もうクレームになったりします。
怒ったわけでもないのに。
先日、ご門徒にその話をしたら、「住職、それは仕方ないよ、今度は超常現象の超って言ってみてくださいよ。」とアドバイスしてくださいました。有り難いですね。
テンパってしまうので超人の超しか思い浮かばない私です。情けないですよね。
でも、こういう時に頼りになるのがご門徒さんなのですね。かなりスッとしました。
さてこの度は、[非難のみされる人]についてお話しします。
私は未熟なためにたまに否定されたり非難されたりすることに出会います。
皆さまはいかがでしょうか。
『法句経』には、「ただ非難のみされる人も、ただ称賛のみされる人も、過去においていなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない」とあります。
↓
「これは昔にも言われていたことであり、今にはじまるものではない。沈黙する者も非難され、多く語る者も非難され、少なく語る者も非難される。世に非難されない者はいない」
確かにその通りです。にもかかわらず私たちは非難を受けた時、ひどくそれを気にして落ち込んでしまいます。私たちは他人から非難されてめげそうになった時、このお釈迦さまのお言葉を思い出すと良いでしょう。
実はお釈迦さま自身が、時に他人から非難されたのでした。あの仏教の開祖たる尊いお釈迦さまが誤解されて中傷されて、ある時は迫害を受けていたのです。そんな時にお釈迦さまが立派だったのは、【絶対に弁解しなかったこと】。
↓
弁解は相手への妥協です。
相手に妥協することは、「自分を否定する」ことになります。それはとっても惨めです。
【非難は、じっと耐えていれば良いのです】
しかしながら私はそうなれずにすぐに弁解しようとしてしまう愚か者です。
この度は改めて『法句経』のお言葉を味わわせていただきました。
今日も南無阿弥陀仏を称えながら、強く明るく生きていきます。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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