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執筆者の写真超法寺の住職

阿弥陀さまの光明

皆さま、こんにちは。

朝からスッキリとしたお天気に恵まれました。

ただ木枯らしが吹き寒さが厳しくなっています。体調管理にご注意ください。


今日は超法寺報恩講前の大掃除です。

いよいよ今週末に控えた『報恩講、遷座入仏法要』です。ピカピカにして迎えたいですね。

お手伝いくださる方には感謝です。


さて阿弥陀さまは、常に悪行悪業を重ねて生きる私たち人間(凡夫)を責めもせずに裁きもせずに光明にて照らしていてくださいます。

気づこうが気づくまいが常に照らしていてくださいます。

親鸞聖人は、《畢竟依》(ひっきょうえ)たる究極の依りどころ、すなわち阿弥陀如来の光明不思議をお示しくださいます。


煩悩具足の凡夫たる私たち人間は、急がねばならないものを怠り、急がなくてもよいことにあくせくしているお互いであります。

1秒先すら我が命の保証書はございません。

「若い」とか「元気」とかなんの意味もなしましません。

「生」こそ偶然、「死」こそ必然であります。


成すべきことをただただ精一杯させていただくのみであります。なるべく後悔のないように。


『正信偈』には、

悉能摧破有無見 [しつのうざいはうむけん]

宣説大乗無上法 [せんぜつだいじょうむじょうほう]

証歓喜地生安楽[しょうかんぎじしょうあんらく]


[現代語訳]

有無の邪見をすべて打ち破り、尊い大乗の法を説き、歓喜地の位に至って、阿弥陀仏の浄土に往生するだろう、と仰せになった。


これが阿弥陀如来の光明によりはたらきであります。このおいわれを日頃から怠りなくお聞かせいただくことこそが、私たち人間が凡夫たる命を生きていく中で最も大切にすべきことであるのです。

南無阿弥陀仏の声は、生きる中に悪行を重ねて生きていくしかない私たち、つまり自らでは往生などできない身に、阿弥陀の名号(お念仏)を称えさせて浄土に生まれさせていただく他はないとお聞かせいただくのです。


[死ねば仏]ではなく、

【弥陀の本願を信じて、念仏もうさば仏になる】のです。


逆らうまんまの私におまかせする私にお育てをいただいてお救いいただくのです。


【我(が)を捨てて、おかげ(げ)に生きる】

さぁ、ご一緒に実践していきましょうか。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏


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