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執筆者の写真超法寺の住職

逆境こそ善知識

皆さま、こんにちは。

あっという間に10月が過ぎていきます。

マッハ11とは申しませんが•••••。 私の人生「老い」も加速的であります。 日々忘れることばかりで昨日は病院診察をわすれました。ヤレヤレであります。

英語で病人を「ペイシェント」(耐えて生きる人)と言います。 確かに病気を抱えると、さまざまな痛み、苦しみに耐えて生きていかねばなりません。 亡き両親も「病」を見せてくださいました。 母は辛くても弱音を吐かずに常に笑顔で口に南無阿弥陀仏をいただいた人でした。 お念仏は苦悩の真っ只中にこそ大きな力を発揮します。

それを先人はあらゆる姿の中に教えてくださいました。有名な人では中村久子さんというお念仏者[1897→1968]は、3歳の時に突発性脱疽という病気を発症され、両手両足を切断され言語に絶する厳しい身体的にも精神的にも苦しみの中、絶望せずに南無阿弥陀仏に生きる中に克服されていかれました。 今こそ、パラリンピックに代表されるように世間の障がいを持つ方への偏見はいくらかは変わったのでしょうが、久子さんは当時は見世物小屋の芸人として差別的な扱いをされた方でした。それでも母親として人間としての尊い生き方を示されました。

彼女の苦悩を見れば比較するわけではありますが、私たちは何とも贅沢な悩みで右往左往してはいないでしょうか。私は母から常々、「お兄ちゃん、お母さんは五体満足に産んだのよ。だから弱音なんか吐かないで頑張りなさいね」と笑っていました。

久子さんは、南無阿弥陀仏に生きる中に「わたしくしを救ったものは手足の無いわたくしの身体、この逆境こそ感謝すべきわたしの善知識(仏道に導いてくれた師)でありました。」と語っておられました。

久子さんは『歎異抄』のお言葉一つ一つを深く味読(みどく)され、心から喜ばれました。


人間は学問や善根功徳(ぜんごんくどく)を積むことによって救われるんじゃありません。

でも仏法聴聞をされない方はそう思うから御札や御守りに頼ろうとしますよね。

すべては「縁」によってなるようになる私たちなのです。


縁により、どんなことでもしてしまう(自分は正しい、相手が悪い)などという煩悩具足の邪見で傲慢(ごうまん)な私が、このまま阿弥陀如来の大悲の御手(みて)に身を委ねた(ゆだねた)時、おまかせすることができた時、初めてこの私が救われるんだよ、と親鸞聖人は教えてくださいました。


久子さんは、我が身に起こったことを「バチ

」ではなくて【宿業】(しゅくごう)と受け止めていかれました。素晴らしい生き方です。


手はなくとも足はなくともみ仏の そでにくるまる身は安きかな


このようにお詠みくださいました。

久子さんのように、素直に生きていくことの難しさを痛感しながらも、必死でそのまま生きる姿を母は私に見せてくださいました。

苦しみのどん底にあった時に母は、私の法話[YouTube]「たのむ」を聞いて安堵した顔になったんだよ、と妹が話してくれました。

何か恥ずかしいですが、同時に嬉しかったです。


九條武子さまも、亡くなる前にお兄さまにお願いして法話をしていただいて、大層お喜びになられたと聞いています。

最後のお言葉は、「また来ます」だったそうです。

お念仏の人は行きっぱなしではないのです。南無阿弥陀仏を私に届けるために【声】南無阿弥陀仏となって来てくださるのですね。


病気の苦しみを南無阿弥陀仏とお聴聞の中に生き抜いてくださいました我が母はまさに私の善知識でありました。皆、善知識です。

ありがたやー、南無阿弥陀仏

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