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執筆者の写真超法寺の住職

超法寺春季彼岸会

皆さま、こんにちは。

今日はまた寒くなりましたね。暑さ寒さも彼岸までと言いますがなかなか春本番にはなりませんね。しかしながら雨も降らずに助かりました。今日はさいたま市見沼区、西東京市

ご縁を結ばせていただきました。

おかげさまで今日は当たりはなく安堵しました。これ以上は身体がもたないので回避したいものですが、こればかりはなるようにしかなりません。


さて昨日は超法寺春季彼岸会をお勤めいたしました。おかげさまにて四名もお参りくださり、浄照寺さまからいただきました『正信偈』をお配り一緒にお勤めいたしました。

正信偈は浄土真宗では蓮如さまの頃からずっと勤められてきました。『偈』ですから『経』とは違い親鸞聖人の七高僧さまを讃嘆された「うた」であります。

『経』は、お釈迦さまの説法であります。

浄土真宗では【浄土三部経】『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』です。

こちらには【南無阿弥陀仏】をなぜお称えするのかをお説きくださっております。

そのお心をお聞かせいただきます。

それを【今現在説法】と言います。

ぼんやりと聞くのではなく、亡き人が身をかけてお伝えくだされた仏さまの世界を私が訪ねていくのです。

他人のためにではなく、私のために、私がこの迷いの人生をいかに確かなものに遇うためであるかをお聞かせいただくのです。


あの世って何よ、どこよ。おわかりか?

天国?どこよ?どうやっていくの?

【他力本願】って言うけど、どういうこと?

人任せ?人間は当てにはならないよ。

でも私たちはすぐ人任せにしちゃうけど、他人は私の都合の良いようにはならないよ。

だって皆、自分が可愛いから、常に自分中心に動いちゃうよね。今ニュースになっている元通訳のことだって冷静に考えてみると自分勝手な話ですよね。いくら仲が良かったって一瞬で友情なんか終わるよね。都合が違うから。


だからこそ、【摂取不捨】(せっしゅふしゃ)の阿弥陀さまが先手の救いを成し遂げられたのです。私たち人間が愚かな生き方をしてしまうから。悟りなど求めようともしない。明らかに見ることもできませんし、悲しいことですが自分がすることが正しくて、私以外が間違っているなどと考えています。


だから、なかなか、たった六字のお言葉すら我が口から出てくることがありません。出てこないから自分勝手なものの見方の中でしか生きていけません。またそれが違うなどと気づくことがありません。

阿弥陀さまがどうして先手の救いを成し遂げられたかが伺うことができますよね。

到底、間に合わないのですよ。

だって求めないんですもの。


仏さまはそんな私を放ってなんかいられない。

だから、自らが先にはたらいてくださるのです。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と喚び通しに喚んでいてくださるのです。

それでも現実はなかなか•••••。


今日もお取次させていただきましたが、ご理解いただけなかった印象でした。つくづく阿弥陀さまのご苦労には今が下がる思いであります。


親鸞聖人はご和讃に、

 南無阿弥陀仏となふれば

 十方無量の諸仏は

 百重千重囲繞して

 よろこびまもりたまふなり

と、お示しくださいます。


そんなことを思いつつ、お念仏を申すばかりであります。南無阿弥陀仏

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