top of page
執筆者の写真超法寺の住職

超法寺の目指す道

皆さま、こんにちは。

今日は早朝から激暑ですが、いかがお過ごしでしょうか。頭がクラクラします。

熱中症でしょうかね。

こまめに水分補給はしているのですが。

皆さまもお大事にしてくださいませ。


[厳しいなぁ]

浄土真宗は楽でいいですよね。

私は浄土真宗で良かったですよ。

これはよく耳にすることですが、何をもって浄土真宗は良かったと思っていますか?


勘違いや思い違いをなさっていませんか?

浄土真宗ほど厳しい宗派はありませんよ。

だって信仰したら、またお願いしたらお金が儲かったり、不幸がなくなったり、病気が治ったり、私の欲が満たされたり、自分の思いのままになるような教えではありませんし、親鸞聖人はそれをおススメしておられるのではありません。


ただ、ひたすらに私の生き方を厳しく問うみ教えであります。だから厳しいのです。


人から門徒もの知らずとか、浄土真宗の人は何もせんでいいなぁ、楽やなぁということを耳にしますが、果たして本当にそうなのでしょうか。

若い人からお年寄りまで「より良い生活を」と言っては求めることばかり、留まるところがない無限の欲であります。それはあたかも、まるで地獄絵図に出てくる餓鬼の姿では無いでしょうか。「欲しいよ、欲しいよ。でもあげないよ、私だけのもの」という執着して生きる人は餓鬼道へまっしぐらであります。


親鸞聖人が歩まれた道

【どんなことに出逢っても、おかげさま、有難うございますとよろこんで生きるのです】


【お念仏を信じ、お念仏に生かされて、守られて、おかげさまと生き抜き、有難うと終わる人生を歩ませていただくこと】


これこそが親鸞聖人がおススメくだされた世界であります。門徒物知らずとは、門徒でありながら忌みごとを知らないという恥ずかしい言葉であります。お聴聞を重ねて生きることこそが浄土真宗であります。


◎本当にお念仏を信じておれば、もっと堂々と人生が歩めるはずです。

◎本当にお念仏を信じた生活をしておれば、どんな時でも一番に仏さまのところへ行くはずです。


私の側で行ける世界ではありません。

一にもニにも阿弥陀さまのおはたらきにより参らせていただくのです。だからお念仏におまかせしていくほかにはありません。


お念仏を信じとは、【すべてをお念仏におまかせする】

私の手垢をつけてはならないのです。

ここがはっきりしていませんと、親鸞聖人のお心がわからないのであります。

親鸞聖人のみ教えの中には、人間の欲を満たす利益は何ひとつありませんよ。

この私の目には見えないご利益[りやく]ばかりであります。だからこそ尊く大切なのです。


しかしながら悲しいかな、私たちは次から次へと、とめどなく湧き出る欲望に押し流されて、迷いの真っ只中を生きているお互いであります。

日の良し悪しを言い、不幸が重なればあちこちに見てもらいお祓いに走り、迷信に惑わされて右往左往している愚かな生き方となるのです。ですから怪しい宗教に悩まされていくのです。

いいですか、何度でも言います。


浄土真宗の人は、【ただ、お念仏を申し、阿弥陀さまにすべておまかせする】

これ以外には私の真の幸せはありません。

我が超法寺は、あらゆる人をそのまま本当の幸せに気づかせてくださる南無阿弥陀仏の世界を一人でも多くの方々にお伝えすることであります。お浄土までご一緒の歩みを南無阿弥陀仏の声と共に生きていく仲間こそが、超法寺の目指す道であります。

南無阿弥陀仏

閲覧数:24回

最新記事

すべて表示

コメント


bottom of page