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執筆者の写真超法寺の住職

落雷で停電

皆さま、こんばんは。

ものすごい落雷で停電しました。

まだゴロゴロいっています。

入間に来て初めての経験です。

懐中電灯があってよかったです。

あまねはビックリして飛びついてきました。

わんちゃんは雷が嫌いというか大きな音が苦手ですからね。私もあまりの衝撃に胸がドキドキしています。ドキドキするなら恋心の方が良いですが。

冗談はさておき、生きているということは様々なことが起こりますよね。決して思い通りにはならないし、周りにいる人はそれぞれが自分の持つ常識が正しいと思っていますから、正しいと間違いがないがぶつかると争いが起こるのです。人間の争いはまずこれで起こります。

これがちょっと考え方が変わるだけで争いとはならないもの。


私の伯父の話は幾度となくブログでもご紹介していますが、車でのトラブル。

すれ違いざまに、「この、クソおやじ」と、若者が怒鳴ったのだそうです。

入間市内を走っていてもたまにあります。危なっかしい運転をしているから、「危ないよ〜」って優しく言ったら、「うるせえ、バ〜カ!」と言われます。きっといつかぶつかることを経験するのでしょうね。

いつも自分は正しい運転をしていると誤認識している人はかなり多い。ミニバン全盛の今は、やたらと煽ってくる。目線が高いから自分が偉くなったと誤解するらしい。

また賢い人はタワーマンションでも低層階に住むのに、そうでない人は上層階に住もうとして後で後悔するそうですね。

私は映画『タワーリング・インフェルノ』を観てから高層階は無理ですよ。知り合いの家ならたまにはいいでしょうがね。

だって、もし大地震や大火事にでもなったら、どうやって逃げたらいいの?同時多発テロの惨事も同じじゃないですか。

これは残念ながら人間の知恵でははかることはできません。


仏教の考え方を表す大きな柱には〈知恵〉と〈慈悲〉があると言われます。

知恵は今話したようなことでしょう。

慈悲という考え方は常に人間の存在の奥底まで届く大事なものがあるような気がします。

〈慈悲〉を説明するには古くから〈与楽 抜苦〉という表現が使われました。

〈与楽〉とは、人々によろこびを与え、元気づけ、励まし、そして明るい未来へ共に歩んでいこう、という積極的な思想です。

〈抜苦〉は、人々の苦しみを軽くし、痛みを和らげ、そして悲しみを癒し、乾ききった心に水を注ぐように人間を甦らせようとする密かな感情です。


慈悲の〈悲〉は、インドの言葉では〈カルナー〉が語源だそうです。[うめき声]という意味があるという。

与楽、〈慈〉には〈ミトゥラ〉、人間皆きょうだいのようなものである、友達であるという感情が潜んでいるそうです。

つまり慈悲とは、[励まし]と[慰め]であると言い換えられるかもしれません。


人間にとって[励まし]はとても必要なことです。「さあ、がんばって、一緒に歩いていこう。大丈夫だよ。きっと立ち上がれるさ。」何かいつもジュンスカイウォーカーズの曲を思い出します。励ましの言葉は、心強く頼もしいです。心が折れそうになった時に言葉をかけていただけたら、「よし、頑張ってみよう」という考え方になれます。私はずっとそうやってここまで来ました。

阿弥陀如来のおはたらきをいただきますと、知らず知らずのうちにそんな気持ちになってくるのです。支えていてくださる大きな力となり、常に私に寄り添っていてくださいます。

しかし私たちは病や老いの苦しみの中でどうにもならない気持ちはあります。それでも、あなたの命を私、阿弥陀はいつも一緒にいるよ、だからそのまま身をまかせてくれよと、はたらいていてくださるのです。


人間の都合良くはならないけれども、ひとりじゃないんだよと、はたらいてくださるはたらきは、阿弥陀さまの真実のよろこびが私を常に包み込んでいてくださるというかとなのでしょう。あ、外が静かになりました。

長い雷雨でした。


ホッとしました。

おやすみなさい。ナンマンダブツ

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