皆さま、夜分に失礼します。今年はこういう夜を過ごすことが多くなりました。
昨日は整骨院でフルバージョンでエコーをしていただきました。
先生はちょこっと背骨がずれるという。だから腰から背中までに痛みが起こる。
その結果、膝にまで連動して痛みが起こるそうです。人間の体って繊細なのですね。
先生にはいつもこの巨体を治療していただき感謝ですが、やはり自分で思う以上にダメージが大きいのだそうです。まだしばらく時間がかかるようです。
生きるとは苦悩から逃れられないものですね。嫌ですが生きているんだもの。
いとほしと 悲しとかつは おもへども つよきそもとに わが心うつ
九条武子さまが詠まれたものです。
あめつちを 野に咲く花に うずめても 悲しかりけり おとろえのわれ
これも九条武子さまが詠まれたものです。
体が衰えていくのは何とも悲しい。そんな悲しい身になっても生きていかねばなりません。人は、どなたでも苦しい時がある。長く苦しいこともある。それに耐えていくのである。苦境に負けるものかと歯を食いしばってただ生きていくその姿には優しさを感じます。つい愚痴が出てしまうものですが苦境は誰もが苦しく悲しい。
自分の弱さを認めて、その私を責めもせず、裁きもせずに包み込んでいてくださるのが阿弥陀さまであります。九条武子さまも、苦境の人生をお念仏とご一緒に生き抜かれました。有名な話ですが人生最後はお兄さまのご法話を希望し喜んで往生されたのが武子さまでありました。無常を生きる私たちはいつも不安を抱えている。辛いことばかりだとつい愚痴が出てしまいます。それでも南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、そのまま私を抱きとめ、「心配ないぞ、まかせてくれよ、必ず安穏な浄土に生まれさせるから」と無常に背を向けるのではなく、そのまま受け止めて南無阿弥陀仏を称えながら生きていくことを願っています。
今週末から新暦盆ですね。是非、亡き人を思い出しながら今何を思い何を願っていてくださっているのかをしっかりと訪ねてみたいものですね。
お盆参りのおいわれは餓鬼への供養ではなく、地獄行きの生き方からの目覚めではないかと思います。そこが問われてこそ故人が身をかけて浄土真宗のご縁に私たちを導いてくださった意味だと思うのです。
私もこの埼玉県に来て出遇ったたくさんの方々を思いながら、あの笑顔と優しい言葉を思いながらお念仏を申しています。あの人もこの人も大切な善知識さまでありました。
今月も辛いですが、きっと乗り越えていけるはずです。だって阿弥陀さまがご一緒してくださっていますから。そう思って私らしく生きていこうと思います。
南無阿弥陀仏の声が支えていてくださいます。
おやすみなさいませ。ナンマンダブツ。
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