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執筆者の写真超法寺の住職

私を生かしめる力とは

皆さま、こんばんは。

夕方またゲリラ豪雨でした。入間市は80ミリの雨でした。お参りから帰って駐車場にいる時に土砂降りになりましたのでしばらく車中で待機していました。雨は上がりましたが外は生暖かくモヤっとしていました。

七月最終日ですが、皆さまいかがお過ごしでしたか。

超法寺は全体的には暇でヒヤヒヤしておりました。残りわずかに皆さまのお支えにて何とか凌げましたよ。ありがとうございました。

今月は幾つかの直接のご依頼をいただきました。新たなご縁が結ばれました。確かに悲しいことではありますが出遇えたことは素晴らしいと思う。いつもながら本当に感謝であります。


南無阿弥陀仏の中に育てられ育まれての日々でありました。


私を生かしめてゆく力 その力が如来の誓い

よりあらわれる [土橋秀高師]


私たちは血のつながりを基本として生きているお互いであります。血のつながりは本能の世界であります。しかしながら人間は本能だけの世界で生きているわけではありません。これを超えた関係の中で生きているのです。私たちは日々お出会いしているのはその縁があればこそであります。利害損得ばかりじゃない。利他的な精神がそこにはたらいているのでしょう。


私たちは日頃より仏法に学び、仏法に聞く中からこの世の真実に眼を開かされたのです。

ですから出会いを偶然とは思わずに会うべくして会わせていただいたことを受け止めて一緒に歩んでいるのでしょう。これは家族だろうがきょうだい、親戚とて同じであります。日頃なかなか顔を合わせる機会がないのは会うべく縁がないからであります。従兄弟でも大人になりますとなかなか顔を合わす機会はないものであります。喜びで会えたら素晴らしいが、悲しみの場にならないと会えなかったりします。それでも会えたのは素晴らしいと思う。なぜならそれは故人が遇わせてくださったご縁だからです。世の無常を知らしめてくだされた、まさに私の人生そのものを問うていく機会だからです。


仏法が教えてくださるこの世の真実とは、【利他真実】であります。他のものと関係を結んで、それを生かしていこうとするはたらきのことであります。私たちは、そういう多くの事実に支えられて、これまでを生きてきましたし、今もそうして生きています。学校の先生も会社の上司、同僚、友人、私ならばお参り先で出会う方々や、お寺へ足を運んでくださる門信徒の方々、これら全ての方々が皆、私の今までを支えてくださった人たちであります。

もちろんこれは人間だけではありませんよ。

わんちゃんや猫ちゃんも、家に咲くお花たち、また私というものを生かすために食料となってくださった数多くの命も私を支えてくだされたのであります。

何より阿弥陀如来さまも私たちの精神界を支えてくださいます。


私たちの気づかないところで支えていてくださるそれを[おかげさま]と拝み、つい、おかげさまを忘れる自分を深く反省して、詫びるところから出発しなければならない。それを教えてくれるのは、阿弥陀如来の誓いの中から現れる力であります。ご法義をお聞かせいただく中に私たちは自らのお恥ずかしい生き方を知らされ、私を生かしめているものへの尊敬と感謝の念をもつ。そうしてこそ初めて[報謝]というところに本当の自分の活動を見出すのでしょう。当たり前なんかないんだよ。偶然なんかもないんだよ。皆繋がっているんだよ。皆願われているんだよ。南無阿弥陀仏の阿弥陀さまの大慈悲心の願いと誓いの中に今、私は生かしめられているんだとお気づかせいただくのです。


思い通りにならずにあくせくしているお恥ずかしいわたしです。しかしながら、大悲の優しさが、このままではすまない気持ちを駆立てて、私を生かしていく力をおこさせているのではないだろうか。親鸞聖人が言われた世界とはまさに、なるようになる世界ではないでしょうか。

これはあの一休さんの遺言でもありますね。


皆さまに支えられて何とか今を生きているこの私、ありがたくもあり、もったいなくともあります。これからも何卒宜しくお願いいたします。あ、新紙幣にやっとお目にかかりました。五千円だけ吹き出しが真ん中にないのはなぜ?

第一印象がそれでしたよ。ま、すぐに慣れるのでしょうね。

南無阿弥陀仏

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