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私の都合通りにはならない

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、おはようございます。

今朝の入間市は雲一つないスッキリとした快晴に恵まれました。ただ寒さは半端なく風が当たると顔が痛くなるくらいです。

しかしながら我が家の子達は元気いっぱいで、

金子駅前の公園まで散歩してきました。


おかげさまで運動不足はありません。

感謝であります。

さて今日は午前中にお参りに来られる方があります。昨日の安穏法話会は久しぶりに休会にしました。急遽お参りが入った関係でした。

遠方でしたので夕方まで帰院できそうになかったため仕方ありませんでした。

楽しみにしてくださった方には申し訳ありませんでした。

また公式LINEやホームページでの告知を知らずにお寺に来られた方には申し訳ありませんでした。

是非この機会に公式LINEへ登録していただければと思います。


さて私たち浄土真宗のみ教えは、私の都合に合わせて仏さまを扱うものではありません。

ましてや末代の今、自力では難中の難、悟り(往生)に至ることは叶いません。

確かに【小欲知足】(しょうよくちそく)の日暮らしをすることは難しいです。

【老いる】ことを免れないというのに、ストレスを抱えて喫煙を辞めない。肌にも身体にも良くないのはわかっているのに。

【病気】することは生きていれば避けられないというのに、身体に悪いことばかりしている。

そういえば花粉症の季節になりました。「腸活」でビフィズス菌を積極的に摂るようにしたら最近ではかなり楽になりましたが無くなることではありません。もちろん喫煙は四半世紀前に辞めましたが、それでも病からは逃れられません。それなのに••••。

【死んでいく】ことはこの世に生まれた限り何人も避けられないというのに、阿弥陀如来の願いに遇おうとされずに生きようとします。

私の努力では悟りに至ることは難中の難と親鸞聖人がおっしゃっておられます。

他力に頼る、つまりは阿弥陀如来の願いである南無阿弥陀仏を我が身にいただいてお念仏を称える身になることを勧めています。


にもかかわらず、私の都合で他力に背を向けて生きようとするのが、【凡夫】と言われる私たちの姿ではないでしょうか。

相変わらずペットが亡くなると「虹の橋を渡って天国へ行きました」などと言われていますが、私たち人間ですら天国へ行くのは難しいというのに、希望だけは美化されています。


「欲望」の中に生きる姿は、「自業苦」の中に生きることであります。「じごく」、つまり私がしたことにより私が苦しんでいくのです。

それを真実に目覚められた仏さまは、手に取るほどにわかっておられ、「他力にまかせよ」と喚び続けておられるのです。


お念仏以外の善行は私たち凡夫には必要ありません。なぜなら阿弥陀如来のご本願を妨げる悪業はない。仏さまの広大無辺のものさしを疑い、ちっぽけな私たち人間のものさしで善行や悪業を決めつけてはなりません。


私たち凡夫たる人間が救われるには、【私が悪人であることを自覚すること】なのです。

これが実に難しいのであります。

だからこそ阿弥陀如来は、全部お見通しの上でお慈悲、大慈悲心をもって先手をうち救われる道を明らかにされたのです。

疑うばかりのこと私をお見抜きされておられるのですから、私たちが信じれないことも十分おわかりしておられますから、姿ではなく声の仏さまにおなりくださいました。


声ですから真っ暗闇でも届きます。

屁理屈の人は、「では耳が聞こえない人はどうするのか」などと言うかもしれませんが、方便の姿で阿弥陀さまはお姿、絵であり名号であり「まかせよ、救う」と、どこまでもはたらいていてくださいます。

「皆救う」とのお誓いですから、どんなにはねつけても阿弥陀さまは必ず私をお救いくださいます。不安の中、わからず疑いを持つ私のまま、南無阿弥陀仏の声となり届いてくださり、私に目覚めを促しておられるのです。


ただ念仏して、これは阿弥陀さまが私に寄り添い願い通しに願い、はたらいていてくださるのだから、まるで我が親のように安心なのです。


わからずともいいのです。親たる阿弥陀さまがわかっていてくださるのですから。

まかせましょう。「苦」を抱え、「苦」の中に生きながら、南無阿弥陀仏は私とご一緒に生きてくださいますから安心ですよ。


「包む」という漢字の成り立ちは、「お母さんのお腹に抱かれている」なのだそうです。

確かにお母さんに抱かれている幼子は常に安心していますよね。なぜかお父さんではこうならなかったりしますが。(笑)

阿弥陀さまも「心配するなよ、阿弥陀がいつも一緒だぞ」と私を不安のまま、包み込んでいてくださいますよ。


南無阿弥陀仏です。

これで皆解決するから。

今日も私とご一緒に歩んでくださいます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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