皆さま、おはようございます。
寒過ぎて目が覚めました。もう11月ですものね、当たり前っちゃ当たり前ですね。あまりに今年は寒暖の差がありましたから身体がマヒしているかのようです。
さて事故の後遺症は約半年強90回以上整骨院へ通ったおかげと病院から処方していただいた強力なお薬のおかげ(笑)でだいぶ楽になりました。賠償金についても弁護士さんのおかげで考えていた以上もいただけるようになりました。[やはり弁護士特約は必須ですね]
賠償金で仏具が買えますね。
昨日は取引先の仏壇屋さんに本堂の天井部分について見に来ていただきました。
仏具を購入しても、やはり取り付け業者さんに頼む必要がありますからね。京都から専門業者さんに来ていただくと人件費が未知数だから。
何かのついでに来ていただくかしなければ。
皆さまの中で安価でしてくださる方を知りませんか?
焦りながらも急ぎながら超法寺の本堂を整えて行きたいです。住職も若くないので、「明日ありと」諸行無常の身でありますから。
間に合わせておきたいものです。
さてこの度は一遍上人のお言葉をご紹介します。
【主なき 弥陀の御名(みな)にぞ 生まれける 称えすてたる あとのひと声】
一遍上人は、親鸞聖人が67歳の年に道後で生まれました。一遍上人は10歳で念仏に入り、36歳の頃、お念仏の本義を聞き開いたと言われます。親鸞聖人のお味わいと非常に近い信仰の方ですがあまり私たちは一遍上人のことは存じませんね。
時宗として知られています。
人々は、自分の名を有阿弥陀仏とか、照阿弥陀仏とか付けていました。
それを略して有阿(うあ)、照阿(しょうあ)などと申します。
親鸞聖人はこのような名を持つ方々からご法義のお尋ねを受けられ交際されていました。
時宗の人でありながら親鸞聖人のお弟子でもあったのですね。
皆さまもご存知の法蔵菩薩の願いは、【わが名を称えられねば 仏にならじ】です。
これはお恥ずかしながら、懈怠(けたい)なくせに理屈ばかりを言いたがる私たちが、[お前ゆえに仰せを聞かずに来ました。言うなれば、受けるべき私が受けぬので主(あるじ)なしであったことになる。如来さま、聞かず称えず、はかろうて寂しい辛棒をさせました。
【成就】
阿弥陀さまという、町長のところに、配給受けにゆくように思っていたのに、お前に称えられぬと仏にならぬと仰せを聞き、あれあれと思わず称えることになった。弥陀は名号として、私を主に生まれ出たのであります。
[昭和三十九年七月 深川倫雄和上]
阿弥陀さまの願いが他力であることは、こうしてお味わいをしてみると改めて知らされます。
私の勝手な都合では地獄(自業苦)を知らずに生きている私たちには叶う世界ではありません。だから親のように先手をして先回りをしてそれを成就されて、何も知らぬ私たちにお聞かせ、はたらき、届けていてくださるのです。
それでもそれに背を向け、自分は正しいと他人を責めながら生きようとする愚かな私がここに今も生きているのではないでしょうか。
『正信偈』に親鸞聖人が、【報土往生多からず、化土往生少なからず】と、仰っておられるのも他人事ではないのですが、皆さまは報土往生をさせていただける自分におなりですか?
そんなことを深川倫雄和上は教えていてくださるのではないでしょうか。
仏法聴聞をしましょうね。忙しいとは思いますが、娑婆の縁が切れてしまわないうちに。
そう感じた朝であります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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