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執筆者の写真超法寺の住職

熱中症お見舞い申しあげます

皆さま、こんばんは。

今日も茹だるような暑さに身体が悲鳴をあげています。経験したことのないほどの体調不良には、「生きているだけで丸儲け」と思うようにしたいなぁと思っています。

さて千葉市の実家寺時分からずっとお世話になりますご住職が体調を崩しているとお知らせをいただきました。私には父のような存在で毎年、布教へ寄せていただく際にお会いさせていただき、笑顔でご住職はお聴聞くださいます。

長きに渡りお育てに預かっている大切な方であります。


もちろん息子さんはそのことを重々わかっているから知らせてくださいました。

すぐに飛んでお見舞いに行きたいところですが、昨今の新型コロナの影響でそれも叶わないとのことです。ご住職には一日でも長く生きていただきたいですが、なにぶんこの世は諸行無常でありますから思うようにはならない。

しかし、南無阿弥陀仏のお出遇いにより娑婆で遇うことができた善知識ですから気がかりであります。

この場で改めてお見舞い申しあげます。


命があるということは、まだすべき使命があるからだと聞きました。それが何かはわからないかも知れませんが、必ず意味はあるのです。

役目を終えたならば、南無阿弥陀仏のおはたらきにまかせてお浄土へ参らせていただくのです。


ここを生前にしっかりとお聞かせいただかねばならないのですね。六道輪廻の中、[地獄•餓鬼•畜生•修羅•人間•天上]唯一、仏法を聞くことができるのは[人間]世界だけであります。

それなのに聞くことを怠ることはお恥ずかしいですね。きっかけを故人がお作りくださったというのにもかかわらず、こちらの都合で忌日、年忌、盆、彼岸すら法事をしないでも平気で、それでいて損だ得だ、不摂生しながら健康でいたい、死んだら仏、でも行き先は天国。


天国に行ったはずなのになぜかお盆には地獄から帰ってくる•••••。

『千の風』が流行ったのに、まだ亡き人はお墓で眠っていると錯覚している有様。

どうやってこの不安を払拭するのだろうか。

故人が見せてくださった生き様は、その方から命を賜った私たちがこれから同じように生きて行かねばならないというのに。

どうして訪ねていかないのだろうか。


仏法聴聞し、南無阿弥陀仏を称えながら「今」を生きていくことしか私にはできません。

そう思いながら、辛くても苦しくても、思い通りにならなくても生きていくのです。

それこそが「おまかせ」する生き方だと私は考えています。

私もなかなか身体が思うようにならない毎日ではありますが、できることをコツコツとやらせていただきます。


高校野球選手権準決勝からも諦めないことの大切さを学ばせていただきました。

SNSで京都国際だけには優勝させてはならないなどという差別的な投稿を見ました。

日本人の誇りを大切にする言動かはわかりませんが、人種差別からの言動なら残念でなりません。戦前には台湾、朝鮮[当時]、満州[当時]のチームも参加していたことを忘れないでほしい。


京都国際は京都大会で我が母校をゴールドで下して甲子園へ出場した京都府の代表校です。

是非、世論に負けずに力いっぱい優勝を目指して頑張ってください。応援しています。

もちろん関東一高にもいい試合を見せていただき優勝を目指してください。どちらが勝っても初優勝ですからワクワクします。


しかしまだまだ暑くて昼間は身体が思うように動かず、夜は疲労でヨレヨレ。

それでもお念仏があればこそであります。有難き南無阿弥陀仏

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