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執筆者の写真超法寺の住職

浄土真宗の御利益

皆さまこんにちは。今日も激暑でしたね。記憶が飛ぶほどの暑さでした。

郵便局へ行っても振込先を持参忘れてみたり、暑さなのか、老化現象なのでしょうか。とにかく思考回路が狂います。


さて超法寺では法事の際には「正座」をさせないように心がけています。

浄土真宗の宗風は「素直になる」ことだと思うのですが、皆さまはなかなか素直になってくださいません。やっぱり正座するんですよ。

できれば体操座りくらいがいいのですが。

正座はそもそも着物、和装の座り方ですのでスーツではつらくなります。


浄土真宗は私のするべき修行はございません、

阿弥陀さまにおまかせしてお念仏を喜ぶことを大切にします。


また正座は今や特に子供さんにはよくないイメージがあるのです。

私も学生時分は、悪いことをすると正座をさせられました。

つまり正座🟰悪いことをしたという思考になりやすいのです。

だからお寺で正座は「自分は何も悪いことをしていない」と思われてしまう。


正座が一般的になったのは江戸時代、元禄・享保の頃、畳が普及して正座が庶民に広がったそうです。日本の正座は、最も安定していて次の行動に移りやすい姿勢です。

それは同時に周囲が安心できる環境にあるということの証でした。

正座を大切にする文化は安心できることを文化の中の大切なこととして位置付けている民族の証でもあります。


安心できる、これこそ浄土真宗の御利益です。


「安心」と書いて「あんじん」と読みます。

私が、いつでも、どこでも、どんな状況であっても安心していられる。

決して私から離れることなく、共にいてくださる無量のいのちと無量のひかりの

仏さまが、ご一緒してくださっているからであります。

安心の上に「ご」をつけて「ご安心」と言いますが、それは仏さまによって恵まれる境地だからなのです。


これを是非知っていただきたいのです。

私を責めず、裁かず、そのまま抱いていてくださるのが阿弥陀さまのお救いです。

どんな時も南無阿弥陀仏の声となって寄り添っていてくださる頼もしい仏さま。

それを故人様が身をかけて残してくださったことは何とも言えない有り難さがある

と思いませんか。

私は有り難く思っていますよ。


間違わせぬぞのおはたらきであります。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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