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執筆者の写真超法寺の住職

母の3回忌

皆さま、こんばんは。

毎日暑いですね。

静かに新型コロナが再び猛威を奮っていますので人混みにいる際はマスクを忘れないでくださいませ。毒性は低くなっているが感染力は強くなっているのだそうですので油断は禁物です。

久しぶりのブログ更新になります。


実はさまざまなことがあり意欲が失われていました。継続は力なりとは言いますが更新を怠るとなかなか難しいですね。

昨日は我が母の3回忌があり、私が導師を勤めさせていただきました。母のきょうだい、私のきょうだい、甥、姪、現大願寺[私の出身寺]住職、住職の両親等がたくさんご参集くださいました。我が母の徳を改めて知らされました。

生前、母と親しんだ「正信偈」を勤め、『御文章』は「白骨章」を拝読しました。

まだ2年か、あっという間に過ぎました。

法話では母が人生最後に私にくださったお手紙を披露しようかと思ったけど止めました。

何か、「お兄ちゃん、恥ずかしいからやめて」という母の声が聞こえるようだったからでした。お母さんはそういう人でした。


親子関係はきっと十人いれば十通りあることだとは思いますが、私は未だに母の愛情を忘れることはできません。返そうにも返せない親への恩、きっとできることは「南無阿弥陀仏を称えながら、仏法聴聞に勤しむ」ことでないかと思う。なかなかできないこれらのことを母は本当に大切にしてくれました。言葉よりも実践、背中で語ってくれましたからね。


常に仏さまの前に座っていました。

南無阿弥陀仏をお称えする母の姿は私にも、きょうだいにも甥や姪っ子にもきちんと届いているのでした。まさに諸仏のはたらきをしてくださいました。

本当の命日は今日で、ずっと2年前の今日のことを思い返していました。

私は40歳からの人生は母を喜ばせることだけに邁進していました。母の笑顔を見るのが私の幸せでありました。筋金入りのマザコンが私。


法要後の懇親会では、母の兄から色々懐かしい話を聞かせてもらいました。伯父には本当に親代わりにお世話になってきました。伯母には10年近く逢えずにいますが、すみません。

これにもさまざまな理由があるのです。

たくさんの方から私は支えられていました。

伯父には「俺より先に死にやがったら許さんからな」って言われましたよ。

諸行無常ですから先はわからないけど、甥としてそうありたいなと思う。


私も60近くになりましたから母のきょうだいも高齢になっています。会うたびに老けているように感じられます。それでも広島からも来てくれる伯父、伯母には頭が下がります。


実ほど 頭を垂れる 稲穂かな


また10月には父の3回忌があります。

父の徳はどのようなものでしょうか。

あまりに大きな存在の二人がこの世にいてくれない喪失感は未だに半端なく私は【倶会一処】(くえいっしょ)を話しながら母が教えてくれた南無阿弥陀仏を道連れに生きていきます。


ふと山口百恵さんの『いい日旅立ち』を思い出しました。母は松田聖子さんが大好きでした。

一度コンサートかディナーショーに連れていきたかったけどなぁ。叶わぬ夢でした。お母さんごめんね。

お母さん、本当にありがとうございました。

私はどこまでできるかわからないけど、あなたのむすこがどれほどのことをするか見ていてくださいね。


南無阿弥陀仏

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