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執筆者の写真超法寺の住職

死後の世界

人間に生まれることは難しい。

「礼讃文」(らいさんもん)には、

人間に生まれてきて仏法に遇うことはまたかなり難しいことである、人間に生まれてきた今ら仏法に遇うて救われなかったならば、もはや私が救われることなど望めません。


[三帰依文](さんきえもん)

人身(にんじん)受けがたし、今すでに受く。仏法聞きがたし、今すでに聞く。

この身今生(こんじょう)にむかって度せずんば、さらにいずれの生(しょう)にむかってかこの身を度せん。大衆もろともに至心に三宝(さんぼう)に帰依したてまつるべし。


みずから仏(ぶつ)に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(だいどう)を体解(たいげ)して無上意をおこさん。


みずから法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、ふかく経蔵に入りて智慧海のごとくならん。


みずから僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して一切無碍ならん。


無上甚深微妙(むじょうじんじんみみょう)の法は、百千万劫(ひゃくせんまんごう)にも遇うことかたし。われ今見聞(けんもん)し授持することをえたり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。


皆さまも、ご法座へお参りされた際にお聞きになるでしょう。礼拝聖典にもあります。「浄土真宗の生活信条」とともに大切にしています。


私たちが命終わって行く世界が二つある。

どちらかには行かねばならない。

一つは仏さまがいらっしゃる世界。

もう一つは仏さまがいらっしゃらない世界。

これは他人事ではありません。

必ずどちらかには行かねばなりません。

皆さまはどちらへ向かって生きているのですか?後者が実に多くはないのでしょうか。


仏さまがいらっしゃる世界を浄土、極楽、無量光明土、蓮華界など、色々な言い方がありますが一般的には極楽浄土と言います。

また仏さまがいらっしゃらない世界が六つ(六道)あると言われます。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という迷いの世界であります。

仏さまのいらっしゃる世界には迷いから離れる、悟りに至らないと行くことはできません。

だから仏さまにお遇いせずに人生を生き命を終えた人は、仏さまのいらっしゃらない世界へ行くのです。真実の教えに遇わなければ仏の世界ではなく地獄の世界へ行くことになるのです。

地獄の世界は言葉が通用しないと言われますから、いくら「ごめんなさい」「苦しい」「許してください」「助けて」と懇願しても聞いてくださいません。悔い改めることがない人が行く世界と言われます。

確かにニュースを見ていると自分がしたのに、「身に覚えがありません」とか「⚪︎ろすつもりはありませをんでした」などと悔いも反省もないそんな地獄の亡者のような方をよく見かけますが、最近では取り締まる警察官にも亡者がいたりもしますから人間は恐ろしい生き方だと思う。人間にはなかなか生まれることはできない。

蓮如上人は、『御文章』の中に、「それ人間界の生を受くることはまことに五戒を持(たも)てる功力(くりき)によってなり」と、おっしゃっております。

今、私たちが人間の世界に生まれてこれたのは、前世で五つの決まり【五戒】を守れたからです。だから人間に生まれて来れたと言われているのですね。なんか不思議な気がするけど。


五つの決まりとは何か。

不殺生戒[ふせつしょうかい]

不妄語戒[ふもうごかい]

不偸盗戒[ふちゅうとうかい]

不邪淫戒[ふじゃいんかい]

不飲酒戒[ふおんじゅかい]

ものの命を奪うな、嘘をいうな、盗みをするな、不倫などをするな、飲酒をするなということです。

一つでもあったら地獄行きの種を持っているということであります。


よく「今度生まれ変わったら」などと言いますが、五戒を守れない人が人間に生まれてくることは絶望であります。

ま、生まれるのは地獄、餓鬼、畜生、修羅のいずれかとなります。楽しみですか?それでもまだ仏さまに遇いませんか?


仏さまにお遇いして往生しますか。それともお遇いせずに「往生しまっせ〜」になりますか。

どちらを選ぶかは皆さまに選択権があります。

ただ、皆さまのご先祖は仏さまに遇ってくれと願っておられますよ。

さてさて。

今日は東京都町田市の高源寺さまの法話会へ出向させていただきます。

お近くの方は、仏さまにお遇いするチャンスですよ。南無阿弥陀仏

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