正満寺常例布教
- 超法寺の住職
- 2 日前
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更新日:1 日前
皆さま、こんばんは。
今日は朝から鶯が「ホーホケキョ」と綺麗に鳴いていました。たまに「ホーホキョ」とまだ上手く鳴けないものもありました。
鳥の世界ではイケメンというのに綺麗に鳴くというものがあるそうで、まさに鶯さんはそれに該当するのでしょう。
ちなみに蓮如上人のお話しにも鶯の話は出てきます。今の時期は旬のネタになりますよ。
さて今日は中仏(中央仏教学院)から35年のお付き合いをさせていただいている柏市の正満寺へ布教してきました。毎年4月に出向させていただきますが今年は例年とは違うものでした。
ご住職が昨年往生されましたのでお目にかかれなくなってしまったのです。
『歎異抄』にございますように、【名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくしておわるとき、かの土へは参るべきなり】の如くにお浄土に参られたのです。
そして今は南無阿弥陀仏の声となりお戻りくださいます。しかしお顔が見えない、声(会話)を交わすことができないのは長年お付き合いしてきましたから寂しく感じます。
この度は私たちは子どもや孫世代に一体何を伝えておくべきなのか、それをお聴聞くださった方々と一緒に考える時を過ごさせていただきました。
以前、朝日新聞の川柳に、「老患の 抑えた声の念仏が 幽かに聞こゆ 消灯時間」(東近江市 寺下吉則)とありました。
大変心に残り常々皆さまにご紹介しています。
これは他人に聞かせるのではない、抑えた声の念仏(南無阿弥陀仏)。ナムアミダブツは一つには「仏がここにいるぞ」との名告り。
二つには「そのまま仏にまかせよ」との仏の喚び声。三つには、今の私そのままが仏になる因。称えている老患の、仏と共にある大きな安心と、それをきっと側で聞いておられた作者のうなづきを感じます。
私たちは一体何のために生きているのか、そして死んだらどうなっていくのかを「今」お聞かせいただくのです。それが先立っていかれたご先祖の遺言ではないかと思います。
「間違わせはしないぞ。」
力強く南無阿弥陀仏の声となり私にはたらいていてくださるのが仏さまの誓願であり本願力のおはたらきではないかと受け止めていくのです。
最近はガソリンが高止まりしていますね。昭和の人には「オイルショック」という言葉は身近だと思いますが、オイルショックはショックから解放されることもありますが、「老いるショック」だけは一生続いていきます。
解放されていくにはお悟る他にはございません。しかしながら私たちのように死ぬまで煩悩から離れられないお互いは解放されません。
でも仏さまは、「そのまま、まかせよ」と、おっしゃっておられますから安心です。
そしてまかせた証が愚痴ばかりの私の口が南無阿弥陀仏と声になるのであります。
わからない、いやわかろうともしない、できない私に、私が一番受け取りやすい形として仏さまは私に寄り添い、おはたらきくださるのです。
以上のような内容をお取次しました。
有り難い仏縁に遇わせていただき嬉しい気持ちのまま帰路につきました。
また新たな気持ちで精進してまいります。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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