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執筆者の写真超法寺の住職

倶會一処の世界

皆さま、こんばんは。

今日はおかげさまにて快晴の中、千葉県柏市正満寺ご住職の四十九日&納骨法要へ光栄にも導師を務めさせていただきました。

私は他寺院さまの法要で布教経験はありますが、導師を務めたことは今までありませんでした。それも内陣での導師など勿体無いことでした。


『正信偈』(草譜)、御文章「白骨章」、法話

「誕生日は三度ある」


皆さまも、もちろん誕生日は三度ありますよね。ありませんか?

まさかまだ一度しかないと思っておられますか?


一度目は、お母さんから産まれた日ですね。

二度目は、南無阿弥陀仏に出遇えた日。

三度目は、この世の縁が尽きた時。[往生]



この三度を知ることが私たち人間として、また浄土真宗のみ教えに遇わせていただくことであります。

親が生涯をかけてこれを私に教えてくださるのですよね。


正満寺さまの墓地にはあちこちで[倶會(会)一処](くえいっしょ)、[南無阿弥陀仏」の文字が見られました。素晴らしいことですね。

ご住職のご教化(きょうけ)のご尽力だと感じました。サヨナラすることのない再び遇い集う世界[極楽浄土]をお伝えしてくださいました。


そして何と、今日はご住職のお誕生日なのです。若さんが自らお父さまのお誕生日に四十九日法要の日取りを設定されたことに敬意を表するものです。粋ですね。


名残り惜しくおもへども、娑婆の縁尽きて、力なくしておはるとき、かの土へは。まひるべきなり『歎異抄』


南無阿弥陀仏の阿弥陀さまのお喚び声をいただいたならば必ずお浄土へ参らせていただく身の幸せを知らされるのです。


金子大栄先生は、「浄土」とは、〈魂の故郷〉であり、〈生の依るところ〉であるとおっしゃいます。

つまり浄土とは、死後の世界の話では無く、むしろ、私たちの人生の究極的な依りどころであり、人生の意味を明らかにするものなのです。


ご住職は自らの「死」の意味を深く問うことを通して、はじめて死によって虚しくならないような積極的な人生の意義を見出すことができるのでしょう。あの優しい笑顔と言葉はきっと、そのような生きる力の源泉のありかを私に教えてくださったのでしょう。


そう思わずにはおれません。

[夢幻のごとくなり]

お聞かせいただきます。

ご住職にお遇いさせていただき本当に幸せでありました。ご住職、また私も必ず参らせていただきます。


釈迦弥陀は慈悲の父母

種々に善巧方便し

われらが無上の信心を

発起せしめたまへけり


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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