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執筆者の写真超法寺の住職

朝な朝なにみ教え仰ぎ

皆さま、おはようございます。

スッキリと澄み切った快晴です。

南無阿弥陀仏です。

昨日はかなり調子が悪くて辛かったです。

体調が良くなってみたりめちゃくちゃわるくなったりと事故の後遺症ダメージは老いた私には無常を生きることの厳しさを思い知らせてくださいます。

しかしながら二度とはない今を南無阿弥陀仏の声と共に生きることが今できていることは幸せであります。南無阿弥陀仏の阿弥陀さまとご一緒に歩む日々の有り難さ、これを知ることができているのですからね。


整骨院での会話は暫しの安らいだ時間となります。主治医さんとのコミュニティも今や楽しみになりました。「趣味でやっているんで」と笑う姿にはいつも「あ〜、私もそうなりたいな」って思うけど、やはりまだ私には仕事なんだよなぁと思うのです。確かに南無阿弥陀仏を口にしながらの生活はごくごく当たり前とはなりましたが生活の一部ではあるのですが、住職として超法寺の維持にいつも⚪︎が頭から離れてはくれません。ここから解放されたらどれだけしあわせかな、ってそう思います。

不安定な法務に毎月ヒヤヒヤしながら、それでも新型コロナ禍のあの絶望に近い状況では無くなりましたが、とても軌道に乗っているとは思えません。そんな私ではありますが、一緒にこの超法寺を育ててくださる方がいることが唯一の安堵感でもあります。


一人じゃなかもん。


この小さな街、入間市で茶畑に囲まれながら今まで『入間の借家で犬と暮らしてる』を聴きながら歩んできた七年間。犬は有名になりましたが、まだまだ住職はほとんど認知されずにきました。新たなこの地で住職として僧侶として地元で皆さまのお力になれるのかを模索していきたいな。そう長くはない残りの我が人生。


やらずに後悔するより、やって後悔する。


この言葉と共にはちゃめちゃな逃避行をしてきました。

「つっぱることが男のたった一つの勲章だってこの胸に信じて生きてきた。」私でした。

南無阿弥陀仏の有り難さ、南無阿弥陀仏の頼もしさをまだ知らないで絶望感、失望感と日々闘っている人たちに知っていただきたい。

それが私の勲章だから。私の人生がひっくり返ったのは、南無阿弥陀仏の素晴らしい世界を知ることができたことなんだから。


お参りに言って出会う皆さまの笑顔が私の喜びになります。お浄土までご一緒する皆さまに今遇えた喜びが私に勇気をくれます。

そんなことを思いながら千鳥足で南無阿弥陀仏を心の支えとして私は今日も生きていきます。

皆さまも、南無阿弥陀仏の声を浄土真宗のみ教えをともしびとして歩ませていただきましょう。


南無阿弥陀仏

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