top of page
執筆者の写真超法寺の住職

少しずつ、少しずつです

皆さまこんにちは。良い天気に恵まれました。

日差しが眩しくてお洗濯、日向ぼっこには最適ですね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。


私は今日は川口市まで仏縁を結ばせていただきました。また新たなお出会いをいただきました。有り難いことでした。


この度も先ず皆さまには「足を崩して楽に座りましょう」と、お声がけしました。

しかしながら、またまた皆さま頑張って笑?正座をされていました。


ダメですね。

法話の冒頭に、浄土真宗は「阿弥陀如来さまの願いを素直に聞くことです」と、お話ししました。阿弥陀如来さまは、私にあれしろ、これしろ、しなきゃダメとは決して仰いません。


しかしながら、人間という生き物は残念ながら足が痛いと、人の話など聞けないものなのです。優しいお顔が恐ろしく怖い、険しいものになっています。(皆さまはご自身では気づいていないでしょうが笑)


浄土真宗は「聞く宗教」と言われますから、「聞く」ことを大切にしなくてはなりません。


お寺さんも難しい専門用語を羅列するだけでは届かないのです。専門家としての独りよがりはいけません。

私はどうしたら皆さまが「素直」に聞いてくれるかな、をいつも考えています。


そして浄土真宗は、阿弥陀如来さまの願い=南無阿弥陀仏(我にまかせよ、我の名をよんでくれよ。必ずあなたを二度と苦悩しない阿弥陀が建立した浄土に生まれさせてさとりの仏にします)を聞いて、受け取って、南無阿弥陀仏を称えながら生きていく宗風です。


❌阿弥陀如来さまの願いを聞かない(素直に)、阿弥陀如来さまにおまかせせずに当てにならない自分をたよりに生きていく。


では、どうしてそれではいけないのだろうか。

それは、「何のために生まれたか?」、「何のために生きているのか?」、「死んだらどうなるのか」がわからない生き方だからです。


仏さま(阿弥陀如来)の願いを素直に聞くようになれたらそこがクリアできますよ。


そうすれば人生を安心して楽に生きていけるのですよ。

あ〜、人間に生まれてきて良かったなぁ。人間として生きるって素晴らしいんだなぁ。阿弥陀如来さまとお出会いしたら安心して死んでいけるのだなぁ。

これがわかるってめちゃくちゃ安心できませんか?

わからない人は、ぜひ仏法(法話)を聞いてみてください。


きっと、少しずつ、少しずつ、少しずつ•••そうなっていきますから。


だけど、阿弥陀さまをこちらに置こうとすると、スル〜ってわからないなってしまいます。

こちらへではなくて、私の側を阿弥陀如来さまのおはたらきの中に置きますと、いつまでも安心していられますからね。


ま、私たちが、親を知り、その後、父母(パパママ)がどんな生き方をしてきたかは少しずつ知ったようにいきなりはわかりませんよね。

それでも親を知らされたら、親なんか放っておけ!というくらい自然なお付き合いができますよね。


阿弥陀如来さまはそのような仏さまなんです。


どうですか?

難しいですか?

焦らなくても大丈夫ですよ。

はたらきはこちらからじゃなくて、あちら(仏さま)からですから。

私はただ「素直」に聞いて生きていくだけ。

だから資格もな〜んもいらないのですよ。


今日も素晴らしい仏縁を結ばせていただき有難うございました。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

閲覧数:17回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page