top of page
執筆者の写真超法寺の住職

日本語は難しい

皆さま、おはようございます。

すっかり朝が寒くなりました。

皆さまは体調を崩されてはいませんか。


さて今日は寺カフェです。

予約を3名いただいています。

もちろん初めての方ですので、どのような方にお会いできるか住職はウキウキしています。


難しいことではありません。

人生を生きること、家族や自分に関わる人があればこそ解決をしておかねばならない大問題が【終活】ではないでしょうか。


[明日ありとおもう心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは]


これは親鸞聖人が僧侶の道に入られる時に言われたとされます有名な言葉です。

私たちが生きているこの世界は諸行無常です。

一瞬先すら命の保証はございません。

もちろん、私の力で努力で「さとり」の道に至るなどできやしません。

それなのに「死ねば仏」などと油断きわまりない生き方をしている。

本当にそれで大丈夫なのですか。

改めて考えてみたいですね。


さて先日、処方箋をいただく際にアンケート回答をお願いされました。皆さまも経験ありますよね。その時にやらかした私の話です。

最近処方された薬を飲まれていますか、の問いに本来なら[服薬しています]と書くべきところを私は何を間違えたか[服役]と書いてしまいました。漢字って難しいですよね。

もちろん意味は伝わっていたので問題はなかったですが薬剤師のお姉さんは優しくフォローしてくださいました。


「私も以前、主人との続柄を【妻】と書かねばならないのに【毒】って書いちゃったの。漢字って難しいですよね。ま、実際「毒」なんですけどね苦笑」と、仰っしゃいました。

これには思わず私も爆笑でした。


外国人観光客が日本語は難しいと言われますが、それを使う私たち日本人は知らず知らずのうちにわかったつもりが間違いをしているものです。言葉は正しく使わないと正しく伝わりませんし、正しく理解しなければ意味がありません。わかったつもりではいけません。

仏教の教えも同じです。


何度も何度も繰り返し味わってこそ、そこにある本来の意味を知ることになるのだと思います。

私たち人間は、間違えたり、忘れたりの生き方であります。相手を責める前に理解してあげる優しさを常に持ちうる、そんな生き方をしたいなぁって思うのでした。

朝から思い出し笑いの住職でした。

南無阿弥陀仏

閲覧数:19回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page