top of page
執筆者の写真超法寺の住職

救急車のサイレン

更新日:2022年2月5日

皆さま、こんにちは。

台風の影響はいかがでしょうか。

我が街、入間市は雨風はそれほどではありません。これからでしょうか。

十分に注意したいです。


さて、普段あまり救急車のサイレンが身近ではない静かな街、入間市です。

最近では、コロナ禍の影響もあり近所に救急車が来る姿を見ています。

また、自治会から亡くなられたというお知らせも回ってきます。

おかげさまで、まだお知り合いの方はおられません。


そしてこの東町に移り住んで4年目。

まだ超法寺に依頼もございません。

皆さま、お取り次ぎのお寺さんがおられるのでしょうか。

是非、阿弥陀さまの仏縁でありますように願っております。

修行の教えでは残念ながら死して仏にはなることはありませんから。

ある宗派のお通夜でご導師が、「故人様は今、仏の世界で悟りを得るために修行をなさっておられます」とおっしゃっていました。

また「人間世界は誘惑が多くて修行することすら難しい。仏の世界には誘惑もないから安心して修行に励むことができるのです。」ともおっしゃられていました。


なかなか大変なのですよ。

【死ねば仏】などという世界などありません。

今、救われない者が死んで救われることはございません。


【今聞いて、今救われる】

このような道は、阿弥陀如来のご本願による他力の道にしかございません。

ご本願を聞いて、おまかせする私になることでのみ【今救われる】のであります。


そのおいわれをきちんと聞く場を持つための儀式が【お通夜】なのです。

ですから昔から亡くなられた悲しい場を仏縁としてお通夜は営まれてきたのです。


それなのに昨今では家族葬という小規模なものが主流とかり、またコロナ禍の影響もありお通夜をしなくなりました。

葬送の儀式が形骸化しているのですね。


葬儀とは、無常の世界を残された人々に伝えることであり、故人ありし日を偲ぶこと、そしてかけがえのない命をお互いに考える貴重な場だと私は考えます。

実際に喪主の方にお聞きしましたが、「これほど父が多くの人と繋がりがあったなんて思いもしなかったです。私は父をみくびっていたような情けない想いでいっぱいでした。」と、父の偉大さや、どれだけ多くの人に愛されていた父であったかを思い知らされ、同時に長男として誇りに思える父だったかを認識することができる素晴らしい場であったと喜ばれておられました。


家族間のことは意外と知っているようで知らないことが多いのでしょう。

特にお孫さんなどは、お爺ちゃんの若き時の姿は全く知らないのですから、たくさんの人を通して知ることのできる貴重な場でありましょう。

だから、お母さんも「子供はうるさくて困るから家に置いてきました」などと言わずに、大切な人との別れの場に連れてきてあげて欲しい。


少なくとも私は、子供さんが泣こうが、走り回ろうが全く気にしませんよ。

だって子供なんだから。

大人が大声で話していたり、走り回っていたらさすがに•••と思いますけどね。


私は個人的にはお通夜の場はとても大切だし、貴重な仏縁であると思います。

なかなか人が集うことは金銭的にも大変だとは思いますが、大切な親の子供ではわからなかった、知らなかった本当の姿を知ることのできる貴重な場であると思うのです。


親戚縁者もなかなか集まる機会も難しいからこそであります。


私たちお寺さんの役割も実に大きいように思います。

浄土真宗ならば、阿弥陀さまの御心をお伝えするはもちろんのこと、人として悲しみに暮れる人たちの思いに寄り添えるように心配りをすることが求められているのでしょうね。


私は控え室でのんびりすることはございません。少しでも会場に行って皆さまから故人さまのお話を聞かせていただくように心がけています。

導師はお客さまではありませんから。

超法寺はそう考えます。


生前のお写真や、お孫さんのお手紙、どれをとっても寄り添える貴重な場になります。


また救急車のサイレンが。

運ばれたのでしょうか。

お見舞い申し上げます。

大事ないよう願っています。


次は私かも知れないです。

閲覧数:17回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page