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戒名?法名?死者の名前?

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

更新日:2022年2月15日

皆さま、こんばんは。

今日も良いお天気に恵まれました。

私も今月の平日は暇で連日、超法寺のリーフレットをポスティングして歩く日々です。

なかなかヒットはしませんが、地方都市ではこんなものだと思います。

今は入間市に浄土真宗本願寺派の布教所があることが認知されてくだされば第一段階はOKだと思います。


いずれ必ずや、お手伝いをさせていただけることがあると確信しています。

何故なら、お茶屋さん(狭山茶販売店)で色々尋ねられる機会が明らかに増えてきました。

ウチの子たちを温かく思ってくださり、それに伴い良いコミュニティが結ばれています。


超法寺らしくです。


さて、最近感じていることですが葬儀や火葬式の際に法名授与を喪主にお聞きするのですが、「法名?戒名のことですよね?」

非常に多い気がします。

説明してもなかなかご理解いただけません。


元々は仏教徒につける名前なんですよ。

特に戒名は、修行僧に授ける名前で死んだ人に付けるものではありません。

戒名が高い•••と文句を言う方がおられますが、そもそも例外的に付けるからだと(特別)ご理解いただきたいです。


戒名をつけるということは、自分で修行して悟りを開くための【自力】聖道門の道であります。つまり、この世でお悟りを開かねば死んで仏にはなれません。


死ねば仏•••そんな都合の良いものなどありませんよ。


法名は、仏弟子となる意味ですから、本来は生前にいただく名前です。

生前に受式することができなかった方に例外的に死後法名をつけるので、決して死者の名前ではありません。

仏弟子になるとは、仏さまのみ教えを聞く人(だから釋という字を付けます)

ということです。

お寺へ参ったことも無い、仏法(仏さまのみ教え)を聞いたことも無い人が浄土真宗で法名を付けたから仏さまになることはありませんよ。


だからこそ、きちんと意味を知ってください。

故人が身をかけて、私たちに仏法を聞いてくれ、阿弥陀如来の願いを聞いてまかせてくれ、を聞くのです。

だからこそ、昔から通夜という仏法を聞く場を浄土真宗では大切にしてきたのですね。


小さなお葬式だから良いのではありません。

間違わせないという阿弥陀如来の願いを聞く場を大切にするからこそ大きな意味を為すと私は考えています。


某葬儀社のCMで、お葬式は小さくていい、などと言われていますが、あれはお金をかけるなよ、ということではありません。

親が子どもたちに華美にせずに、きちんと仏法を聞いて私の参る世界を知ってくれ、そしてまた遇うんだよ、という安心をきちんと受け止めていくことを望んでいる姿だと私は考えます。


親の言葉の奥にある本当の意味、本当の心をしっかりと訪ねてみたいものです。

超法寺はたとえ時間的に短い火葬式でも必ず法話をいたします。

法名にはきちんとした仏縁の意味を盛り込みます。

死者の名前じゃないんだから。

これから長く皆さまが故人の遺言として受け止めていくための大切なお名前です。


だから安易に「浄」とか「楽」とかは用いません。

阿弥陀さまに遇っていない人は死んで「楽」にはなるはずありませんからね。

阿弥陀さまに遇っていないのに死んで「極楽浄土」に勝手に行けるはずはありません。


だから大切な方を仏縁として、しっかりと聞かせていただかねばならないのです。

最近では、子供はうるさいから、泣くから•••といって葬儀へ参加させない親御さんが増えてきました。悲しいことです。

あれほど側にいてくれた方が、今や冷たく、言葉すら交わせない現実をしっかりと認識してもらうためにも是非、連れてきていただきたいです。

超法寺はそう考えています。

子供は騒ぐもの、泣くのが仕事です。

そのままでいいのです。

それよりも、その子供に振り回される大人の方にこそ問題があるように感じます。


是非、何故、「法名」を付けるのかをもう一度ご理解いただければ嬉しく思います。


「法名」を付けたということは、ご遺族は、故人を死者として弔わず、仏さまと手を合わせて「ナンマンダブツ」とお念仏を申す大切な仏縁にするのですよ。


それこそがあなたの大切な人の本当の意味の【遺言】だと思います。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。

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