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執筆者の写真超法寺の住職

忘却は人の常

皆さま、夜分遅くに失礼します。

明日は朝から立川市でお仕事をいただいていますから早く寝たいが気になってブログをアップします。親鸞さまの報恩講ですね。お参りされましたか?私は埼玉のご法中(ご寺院)のヘルプがあるため、なかなか予定が立ちません。

来週末には超法寺の報恩講が控えています。


【忘却】は人の常


片すみに 追いのけられて それのみか

忘られはてし われにやはあらめ

           [九条武子]


何かにつけてでないと自らの「老い」をおもある出すことがない。しかし、たまに鏡をマジマジと見たり、自撮りを撮りますと、やはり歳相応に「老いております」。還暦前だものね。

このまま独り去っていくのだろうか。

ふと、そんなことを思ったりする。


しかし忘れられずに私を覚えていてくださることはやはり嬉しいです。

だいぶ前ですが、母方の祖母が認知症を患い、「あんたは誰かいの〜。」って言われて愕然とした経験がありました。

母のことは知っていても孫の顔は忘れてしまったことでした。病を知れば納得だが、それでもやはり忘れられてしまうとは悲しいことです。


縁がそうなれば、この私もあらゆるものを忘れていきます。嫌でもなるのです。

だから、仏さまも忘れる私をわかった上で仏さまとなられました。

私が忘れても、忘れはしない仏がいる。

だから安心してまかせることができるのだ。

疑うことなんかないのです。

南無阿弥陀仏と、阿弥陀さまに依りかかればそれでいいのだから。


これが安穏な世界であります。


【憶】

おぼえている ということは 最後の愛情である。単に おぼえているだけではなく 真中において ちやほやして もらいたい。

ところが ちやほやする人より じっとおぼえている人の方が 愛情は深く大きい のではないか。

おぼえている ということは 最も深い愛情 

であろう。おぼえているぞという 呼び声が

うれしい。       [深川倫雄和上]


我が父母は、有難いことに最後まで私を忘れずにいてくださいました。子どもとして最高の愛情を父母からいただきました。

あり難き、しあわせ。

南無阿弥陀仏。


それでは、おやすみなさいませ。

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