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執筆者の写真超法寺の住職

広大無辺のすくい

皆さま、こんにちは。

今日も激暑でしたね。まだ暑いです。

立ちくらみするほどであります。

しつこいようですが、こまめの水分補給で熱中症にはくれぐれも気をつけてください。

庭掃除など以ての外ですよ。

命を最優先にしてください。

麦わら帽子を被りましょう。

食欲がないからと、そうめんで済ませては栄養が足りません。オクラなど一緒に食したいものですね。ポカリスエットやエナジードリンクを多飲すると糖尿病の危険が伴います。

最強ドリンクはやはり昔ながらの麦茶です。


さて、暑さ一つとっても私たちは「わかっているつもり」となります。川や海で子どもが溺れるのも相変わらずですよね。山菜採りに山に入るとクマに襲われるのも相変わらずです。また薄着で山林に入ると、マダニの被害を受けて亡くなる人も相変わらずであります。これらすべて、冷静に考えれば避けらることなのに、どうしても毎年繰り返し起こってしまいます。

人間たる私たちの生き方を見抜かれた仏さまは、心配しどうしであります。

真実たる仏さまは、身の程知らずの生き方をしてしまう私たち人間を放ってはおかれません。

だから自力など当てにされてはいません。

自らが先におはたらきくださいます。


蓮如上人は、『御文章』の中で、「弥陀如来の本願の、われらがために相応したるとうとさのほども、身にはおぼえざるがゆえに•••••」と、信心の者が少ない理由を述べておられます。 それは阿弥陀如来のご本願が、私たち煩悩具足の凡夫のために建てられた、その尊さを身にしみて味わうことがないからと言われています。 このことは、自分自身の身の程を知ろうともせず、仏さまの大悲の深さを仰ごうともしない、人間の傲慢な不信心の姿をあらわされた言葉であります。

仏法を自分のこととして聞く気のない人や、知識的に聞こうとする人は、一度でも記憶したら「もう、わかった」「もう、大丈夫」となりますから、真剣に聞くことができません。 まじめに聞かないから、信心が獲られるわけがありません。私が起こす信心は常に移り変わりますから当てにはならないのです。

だから、いつまでも経っても亡き人のため、ご先祖さまのために•••••と私自身がどこかへいってしまうのです。ですからすぐに不安になり、最後には神頼みをして済まそうとしてしまいます。

わかっているんだ、そのうちに聞くから今はいいんだと、今日とも明日とも知れぬ死の問題を後回しにしてしまいます。すると最後は、「こんなはずじゃなかった」「安心できない」と、まるで童話の『アリとキリギリス』のお話のような結果を招いてしまうのでしょう。

蓮如上人は『御文章』で、「いつも信心のひてとえりをば、われこころえ顔のよしにて、なにごとを聴聞するにも、そのことばかりおもいて、耳へもしかしともいらず、ただ人まねばかりの体たらくなり」 「自分はわかっているんだ」「心得ているんだ」「お念仏を称えているんだから」 この油断が仏法をしっかりと聴聞せねばならないとの心を曇らせて、他人事のような悠長な聴聞にしてしまっているのではないでしょうか。

せっかく故人さまが身をかけて仏法を聴聞する機会を設けてくださったのに、形だけの法事だけ勤めて、納骨がすんだら「はい、それまでよ」と、もう仏事はやらずに済ませていませんか? 聞いても聞いてもわからない私なのに、聞かない日暮をしてどうやって煩悩具足の私が安穏な生活を送ることが出来るのでしょうか。 何とも勿体ないことだと私は思うのですが、煩悩具足の人間はいつも行き当たりばったりになるものです。大変残念だと思います。

○信心の姿 僧侶、門信徒が袈裟や式章をつけたり、念珠を手にするのは、仏弟子(仏さまの教えを聞く人)であることを表しています。 仏教徒が念珠を持つのは仏さまを敬い、その教えを依りどころとする者の自覚の意思表示なのです。飾りではありません。 一度手にしたのに「もう要りません」という行為は、「私は仏教徒ではありません」と主張している実にお恥ずかしい行為ではないでしょうか。 そんな覚悟で式章を身にして欲しくはありません。信心とは、決して心の内に留まるものではありません。 念珠を手にかけて合掌し、口にお念仏を申すのは私の日暮しは阿弥陀如来と共に、仏法を聴聞しながら生きていくという心持ちとなっていく努力をしていく、そういうものではないかと思います。

また生前に法名をいただくことは、先にお話しました仏弟子になることですから、仏法を聴聞しながら阿弥陀如来と共に生きていくという誓いであります。ひとりじゃない、阿弥陀如来と一緒に生きていくという力強い心持ちの上に拝受するもので、浄土真宗の門徒としての決意の表明だと思います。是非、一日も早く受式して阿弥陀さまと生き抜いていくあなたになっていただきたいですね。

間違っても阿弥陀さまをこちらに握るのではありませんよ。煩悩具足の人間、私を阿弥陀さまのご本願の中に放り込んでいくのです。それが広大無辺のおはたらきであります。「まかせよ、救う」の阿弥陀さまの切なる願いの中であります。南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・

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