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執着心が苦を招く

皆さま、こんにちは。

今日も暑かったですね。

みやび君がいなくなって早くも6日過ぎました。あっという間に時は過ぎていきます。

それは私が生きる世界は立ち止まることを許してはくださいません。


つまり今生きている私も必ず命を終えていかねばならないということを忘れてはなりません。

SNSを見ていると「虹の橋を渡って」などと、まぁ都合の良い言葉ばかり目にします。

本当に虹の橋を渡って天国へ行くの?

地獄のような生き方しかしていない私がどうやって?そんな都合の良い話なんてないと私は確信しています。


【自業苦】(じごく)は、誰でもない私自身がしたことにより、私自身が苦しんでいくのです。

苦悩には【執着】(しゅうじゃく)が一番ではないでしょうか。あらゆるものに執われてしか生きていけないのが私たちではないでしょうか。ここからとき離れていけたらどれほど楽に生きていけるのでしょうか。そう思うのですが、やっぱり大切な人、大切なものを執着するのです。


関わった時間が思い出がある限り、なかなか執着を離れていくことはできません。もし自力の生き方をするならば、いの一番に救いから漏れるのでしょう。

しかし、そのような生き方から離れられない【凡夫】たるものを救いたいという大慈悲心が阿弥陀如来のご本願ではないでしょうか。

その親心はもう既に仕上げられ私の上に届いているのです。

南無阿弥陀仏の声となり届いています。


皆さまは南無阿弥陀仏の声を聞いていますか?

「まかせよ、救う」の声です。

我が親が、先に親の名のりをあげて下されたように、阿弥陀さまも先手の救いを既に成就してくださいます。

執着心から離れられない私に「あなたの悲しみ、苦しみは我が悲しみ、苦しみだから。間違わせないからまかせてくれよ」と、私になっていてくださるのです。


今でも辛くてどうしようもないのですが、それを責めもせずに裁きもせずにそのまま抱いていてくださる阿弥陀さまにお遇いし、南無阿弥陀仏を我が口に称えながら生きていく。

必ずまた亡きものと遇わせていただけるのです。それを『仏説阿弥陀経』には、【倶会一処】(くえいっしょ)とお説きくださるのです。さよならしない世界を我が身にいただきながら南無阿弥陀仏を称えながら生きていくのです。そうすることで、この苦悩を乗り越えていけるのです。


私も悲しいのは変わりませんが、それを楽しみに生きていきます。

南無阿弥陀仏

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皆、必ず

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