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執筆者の写真超法寺の住職

善知識のおはたらきかな

おはようございます。

連休ですが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。昨日はかなり車は渋滞していました。

私は千葉市までお参りへ行きました。

毎月の月忌参りをさせていただいています。

今月は亡きお父さまの祥月命日[年忌に当たらない命日]をお勤めいたしました。


生前からずっとお世話になりました。

故人さまは大阪府警にお勤めでキャリアさんでした。大阪から千葉へ越して来た方で、自ら調べて私の実家寺を探してのご縁でした。

私も学生時分には大阪で法務のバイトをしていましたので、それで話が合うことでもありました。明るいお父さまで、菩提寺でもさまざまなご縁を結ばれていたようでした。

しかしながら本人は別に信心深い訳ではなく、お参りは奥さまが一生懸命でした。


それでも数年かけて毎月毎月お参りをする中で少しずつ変わっていかれたのでした。

それはそれはかなりショッキングな変化で、始めはお勤め[正信偈]すらせずに、ただ座っているだけ。終わったらタバコを吸いに行くような人でした。それがお経本を持ち開くようになり、次第に一緒に読むようにもなり、最後には大きな声で読んでいました。(音程が違うので負けないように私は声を張りましたよ)


南無阿弥陀仏と称えるようにもなられました。

阿弥陀さまの他力本願をはねつけていたお父さまが、私の教化(きょうけ)ではなく他力のおはたらきによっておまかせしていくようになられたのでした。亡くなられる二週間前にお会いした際も(奥さまに会わせてくださいと事前に頼んでいました)、声は出せずにいましたが声をおかけしましたら、黙って胸の前で合掌をしてくださいました。感動しました。

まさに阿弥陀さまに抱かれた姿のようでした。


浄土真宗は称えたから救われるのではありません。何があろうとも救わずはおれない他力の大慈悲心が常に届けられてあるのです。

その阿弥陀さまのはたらきを受け入れること、ただそれだけであります。

お父さまとのお出会いは未熟な私を育ててくださいました。他力の法のはたらきを実践という形で目の当たりにした貴重なご縁でした。


朗らかで笑顔の素敵なお父さま、私を常に見守っていてくださったかたでした。毎月お会いすることが楽しみでした。南無阿弥陀仏を通してお会いできています。またきっとお浄土へ参ってお遇いできる楽しみを再確認した貴重な祥月でした。

昨今では寂しいかな、年忌法要もされず、毎月の月命日をお勤めされる方も減りつつあることではありますが、入間市に来ても変わらず私に依頼をしてくださり毎月、千葉市までお参りをさせていただけていることを嬉しく思います。


皆さまの中で同じように毎月お参りしていただきたい方で、お寺へ参ることが難しい方は是非ご依頼くださいませ。

南無阿弥陀仏

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