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「友引」本来の意味は

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

更新日:2023年12月16日

皆さま、こんにちは。

久しぶりに雨が降っています。

たまには大切なことです。

しかしながら、悲しいかな、嬉しいことなのか、今月は中盤大変お暇になっています。

これだけ暇になると気の弱い私は不安になります。でも性格的に「ま、いっか」となります。

だって、なるようになるからです。

今までもこのようなことは何度も何度もありました。むしろ、ずっとこうでしたよ超法寺は。


それでも何とか切り抜けてきました。

仕事が増えると驕り、無くなると不安になる。

凡夫って常に欲に振り回されてしまうものですね。


さて、皆さまは友引は気になりますか。

最近日本の死因は第一位が悪性新生物〈腫瘍〉が24.6%と4人に1人がこれにあたります。

第二位が心疾患[高血圧症を除く]が14.8%、第三位が老衰が11.4%となっています。

皆さまは、どれで死んでいきたいですか。

他には自殺、交通事故、他殺などもあります。


私はどれも嫌です。


でも生きているかぎり、必ずどれかによって私たちは死んでいかねばならないのです。


仏教の信仰心を持ちますと、見方が変わります。

【最大の死因は、無常の世に生まれたこと】

と知らされます。 


人間は死ぬまでは決して死にませんから。 

すべての現象には理由があります。

結果には必ず原因があります。

お釈迦さまが語りかける世界は、常に理路整然と理知的に私の心に語りかけます。

一つの結果は新たな事象の直接的原因や間接的な原因となり次の結果をもたらします。

この世の全ての事柄は、原因と結果との複雑な関わりによって成り立っていると説く仏教の縁起論は、科学的整合性と矛盾はありません。


肺炎もかなり上位です。

これは喫煙者にかなり当てはまります。

肺は空気以外を全て異物と捉えます。

喫煙で壊れた細胞〈リンパ〉は決して復活再生はしないそうです。

つまりは、近年流行りの電子タバコも実は身体に肺にダメージを与えていることを認識して、喫煙してください。

我が父もそうでしたが、常に水に溺れている状態になるんだそうですよ。

皆さまは経験ありませんか。

プールや川で溺れたこと。

あの苦しみがずっと続くのだそうです。


どうかそれをいずれ我が身に起こるという覚悟の上で喫煙を楽しまれていただきたい。

例外はほぼありません。

ちなみに友人が肺の手術をしたら、半分摘出して、たった一週間で退院させられたそう。

そんな時代になっているのですね。


仏教の教えでは、人間は誰もが生まれた瞬間に死の宣告を受けているようなものだとお聞かせいただきます。

二月十五日、前日は世間ではハッピーバレンタインといって浮かれますが、この日はお釈迦さまのご命日、「涅槃会」です。

 

【涅槃】とは、【すべての煩悩が滅した境地】という意味です。


某俳優が遺書に「おやじ、涅槃で待つ」と残されています。意味がお分かりだったのでしょうか。

肉体からも解放され、その完全な寂静(じゃくじょう)の世界、滅度へ入られたことからお釈迦さまの「死」を入滅といい、この日を涅槃会としています。


お釈迦さまが亡くなられた時のお話しです。


お釈迦さまはチェンダという青年が差し出された食事で体調を崩し、次第に容態が悪化して、ついに息を引き取られます。

チェンダは取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんでも悔やみきれない思いに苦しんだことでしょう。

しかしお釈迦さまはこう語られています。


「チェンダによくよく伝えるがよい。チェンダが供えた食事が最後のものとなったが、チェンダは決して後悔する必要はない。

成道の前に供えられた乳粥の供養と入滅の前に供えられたチェンダの供養とは、ともに同じくらいの功徳の大きい価値のあるものであった。」と言われました。


お釈迦さまのチェンダへの思いやりが伝わってきます。私たちなら、きっと相手を責めるそんな愚かな行為すらできないことでしょう。


死の縁は無数にあります。

いつ、どこで、どのような状況で私が死を迎えるかをいくら想像してみたところで、答えは永遠に謎のままです。

しかし、いつかという時は決まっていませんが、死ぬことはそもそも生まれてきた瞬間に決定済みですから、絶対に逃れられません。

死の状況、結果ばかりに気を取られてしまう私ですが、改めて死の【原因】に目を向けたいものですね。


いくら考えてもわからない先を考えてみてもしょうがありません。

ただ「今」を生きていくしかないのです。


「死」は老少不定です。

それなのに、死が続くとこんなことを耳にします。


「友引に葬式をするなんて非常識だ」

「友引に葬式をしたから不幸が続くんだ」


正しい知識を持たない人がそういうのです。


「友引」とさ、昔の中国で戦(いくさ)の結果を占った[六曜]に端を発します。

他には[先勝][先負]とありますが、勝負事には勝ち負けの他に引き分けもあるから、これが[共引](ともびき)で、これが[友引]の語源と言われています。


間違っても、[友を引く]という意味で使わないように注意しましょう。

そもそも六曜は仏教とは何も関係ありませんから。

どうぞ仏法聴聞する人になりましょう。

無知は自分の生き方をつまらなくします。


これがわかればもう[友引]に振り回されることはありませんね。

いかがでしょうか。

あ、晴れてきました。ありがたや。

ナンマンダブツ

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