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執筆者の写真超法寺の住職

去る者追わず

皆さま、こんばんは。

今日は風もあまりなく日差しの温かな一日でしたね、有り難いことです。ただ気温はやはり冬ではありました。油断は禁物です。

しばらくブログを更新していませんでしたが、私なりに色々考えることがありました。


人間とは様々なことを考え、思い行動します。

自分を第一にして、その上で相手を考えて生きています。これだけは何か変わらない気がします。これを仏教では[凡夫(ぼんぶ)]と言います。凡夫には常に感情が第一にあります。

自分の思うようにしたい、なりたい、そうしないと気分が悪い。


しかしながら、私がそうだからと相手もそうかと言えば決してそうとは限りません。

そういう私はまさにO型気質であります。

O型の案内図そのもののタイプでありますから、それをご理解いただけない方には上手くお付き合いできない気がする。


詳しくはお話ししませんが、そこのズレにより元を離れてしまわれた方がありました。

超法寺は開所当初から、「来る者拒まず、去る者追わず」を基本理念に掲げてきました。

これは亡き父の理論でありました。

悲しいけど人間とは、自分の思うようにしたいことが優先しますから、そうならないと去ってしまうものであります。


損得が優先されたらなかなか超法寺の未来を共有することは難しいでしょうね。亡き父の頃も父はたくさん揉めていた。息子として「何をやっているんだ、お寺なのに」と思っていましたが、実際に私がこうやって寺院活動をしてみるとなかなかどうして、人間とは難しいものだと思っている。


決して私がいつも正しいとは思わない。

人間とは「自分が正しい」と思っても、それを阿弥陀さまに照らすといつもどこかおかしいものだと気づかされます。


[礼讃文]には、

人身受けがたし、今すでに受く、仏法聞きがたし、今すでに聞く。この身今生に向かって度せずんば、さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。

大衆諸共に至心に三宝に帰依したてまつるべし。


自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解(たいげ)して無上意をおこさん。


自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入りて智慧海のごとくならん。


自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して一切無碍ならん。


無上甚深微妙の法は、百千万劫にもあい遇うことがたし。われ今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらん。


とあります。

阿弥陀にまかせていく道とは簡単なようで実に難しい道ではないでしょうか。

口にはお念仏を称えながらでも、なかなか生き方が他力となるのは難しいでしょうか。

私たちが我が親にまかせて生きる身になるために、親がどれだけ私の名を呼び続けてくれたのだろうか。それを思い返す時、阿弥陀さまの親心を知らされるのではないでしょうか。


今まで超法寺のためにお力をお貸しくださりありがとうございました。

甘えてばかりで申し訳ありませんでした。

今後のことはこれから考えていきたいと思います。これもまた学びであります。

新年早々そのような事態になり、我ながらお恥ずかしいと思っていますが、これも含めて私であります。

また縁があればお会いしましょう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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