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『仏説観無量寿経』の教え

皆さま、こんにちは。

良いお天気に恵まれました。

世間ではゴールデンウィークなのですね。

今年は最大11連休にもなるそうで羨ましい限りです。是非日頃からのストレス発散に、家族へのサービスをされてください。

そしてくれぐれも事故や争いのなきようにお願いいたします。


人間の生き方には必ずといって揉め事がございます。身近なものでは『浄土三部経』の一つ、『仏説観無量寿経』があります。

これは王舎城の悲劇、今から二千五百年ほど前にお釈迦さまの晩年にインドで実際に起きた事件です。


⚪︎提婆達多(だいばだった)

お釈迦さまの従兄弟で阿難尊者の兄。

お釈迦さまを敵視され、マダカ国の皇太子•阿闍世(あじゃせ)に近づき「太子の父•大王は、太子の生まれる前、太子を殺そうとした」とそそのかし、お釈迦さまを敬う大王•頻婆娑羅(びんばしゃら)を太子に殺させ自分はお釈迦さまを殺して、この世を自分の意のままに支配しようとされました。


⚪︎阿闍世(あじゃせ)

提婆達多にそそのかされ、父王を石の壁に囲まれた牢獄に監禁し、最後には餓死させてしまう。また大王を助けようと牢獄に食事を運ぶ母•韋提希(いだいけ)をも刀で斬り殺そうとするが、大臣に止められ母を王宮の奥に幽閉した。


⚪︎頻婆娑羅王(びんばしゃらおう)

お釈迦さまを敬うマダカ国の大王、阿闍世の父、牢獄にて獄死する。


⚪︎韋提希夫人(いだいけぶにん)

我が子が父を殺す。そして母をも殺そうとすり阿闍世に幽閉される。

その韋提希夫人の前に、請われずして姿を現されたお釈迦さまに、「この世は地獄•餓鬼•畜生が満ち満ちています。私に浄土を見せてください」と、韋提希夫人はひれ伏します。


このような人間ドラマの教えが『仏説観無量寿経』であります。二千五百年以上経っても私たち人間の生き方は何ら変わりませんね。

毎日あらゆる場所でこのように憎悪に満ちた争いが引き起こされているのですね。

韋提希夫人はお釈迦さまへ【愚痴】をぶつけながらも、お釈迦さまの教えを聞いていく中に自分の愚かさを知っていくのでした。


どうして最愛の子、阿闍世が父母を殺そうとしたのか。そしてその父母が阿闍世に何をしようとしたのか、それをそそのかした占い師の言葉を信じていかねばならなかったこと、あらゆる事は私たち人間の愚かさがそうさせてしまうのであります。

笑顔の中にも優しい言葉の中にも残念ながら私たち人間は【愚痴】【腹立ち】【怒り】【妬み】が満ち溢れているのであります。


例えば同窓会や結婚式披露宴などの場で過去に自分虐めたり殴ったりした人と出会うことがありますよね(無い人もいるのかな)。

私の話になりますが、もうあれから何年も何十年も経ったというのに未だにそれを許せずにいるのですから、人間の闇、人間の怒りは無くならないものだと痛感されます。


殴った人は簡単に忘れて笑顔で挨拶し、優しい言葉で語りかける。でも殴られた人はその時の辛さ、苦しさ、悲しみ、憤りは忘れられないものです。だから何年、何十年昔に起こったことで凶悪事件が引き起こされてしまうことがあるのです。怖いものです。

私も仏法を聞く身で無ければ、南無阿弥陀仏を常にお称えする身で無ければきっとこの『仏説観無量寿経』のような出来事を起こしていたのかもしれませんが、阿弥陀さまを知らされ、阿弥陀さまの願いの中にありながらこらえてくださっているのでしょうか。


そんなことを思いながら久しぶりにゆっくりと日曜日を過ごしています。どうぞ良い思い出が残る連休にしてくださいませ。

今日という日は二度とありませんよ。

また家族と過ごす時間も人生でそんなに長くもないはずですからね。後悔しないでよいようにしたいものです。

私は昨日、某寺院の結婚披露宴へ出席しました。なかなか見れない親の愛情たっぷりの感動的な場に遇わせていただきました。


同級生のご住職でしたから、もし(仮定の話は好きで無いが)私にも子どもがあればあのような場があったのでしょうか。だからこそ私はそういう場に身を置くことができたことが嬉しかったです。有難うございました。

「縁」のある人達との出会い、交流をこれからも大切にして生きていきたいですね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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