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執筆者の写真超法寺の住職

仏さまをほめたたえる世界

皆さま、こんばんは。雨空の連休ですがいかがお過ごしでしょうか。私はおかげさまでお手伝いではありましたが所沢市斎場でお参りしてきました。そういえば本当に久しぶりに斎場へ行きました。今日の斎場は会葬者で溢れんばかりでありました。新型コロナが落ち着いたからでしょうか。人の多さを感じました。

しかしながら、やはり悲しみの場はやるせない気持ちになります。この中のどれほどの人が[倶会一処](くえいっしょ)の世界を知り、サヨナラではない喜びの道を知り、また故人と遇えることを知っておられるのでしょうね。


ですから私は必ず、一言だけでも[倶会一処]の世界をお話します。聞いてくださるだけでいいんです。阿弥陀さまは、諸仏はちゃんとはたらいていてくださっているのですから。

聞いたことのある人は、何かのタイミングで思い出すこともありましょうが、聞いたことのない人は、残念ながら思い出すことはできないのだから。だから、経典にも[聞其名号](もんごみょうごう)とおっしゃっておられるのです。

私はどんなに短い時間でも、これだけは皆さまにお伝えしています。ある意味、浄土真宗本願寺派の僧侶たる者は[南無阿弥陀仏]のお心はお伝えすべきだとそう思います。


皆さまは普段、何をお勤めされていますか。

「正信偈」ですか、「讃仏偈」ですか、「重誓偈」でしょうか。まさか「般若心経」じゃないですか。浄土真宗では「般若心経」は勤めませんよ。素晴らしいお経ではありますが、修行もしない在家の私たちには相応しくありません。

私たちは自力で往生することはできません。

なぜなら煩悩から離れることができないから、阿弥陀さまの他力の大慈悲心でしか往生することはできません。

だから、私が往生する道は阿弥陀さまがすでにお仕上げくださっていますから、往生するための修行は必要ないのです。

では何のためのお経かと言えば、死ぬまで煩悩から離れることができず自分の力ではさとりを開くことができない私たちを南無阿弥陀仏の他力本願で往生させてくださる阿弥陀さまに対する喜びに感謝し、その功徳をほめたたえるものが浄土真宗のみ教えであり、お経であります。


「正信偈」には、法蔵菩薩[のちの阿弥陀さま]がお師匠の世自在王仏のおそばに行って(中略)うやうやしく合掌して世自在王仏のお徳をほめたたえた。このほめたたえた偈文が「讃仏偈」であります。


世尊のお顔は気高く輝き、その神々しいお姿は

何よりも尊い。[光顔巍巍 威神無極]

始めに世自在王仏のお徳を讚嘆した後、

願わくは、わたしも仏となり、この世自在王仏のように迷いの人々をすべて救い、さとりの世界に至らせたい。[願我作仏 斉聖法王 過度生死 靡不解脱]と、法蔵菩薩が自分の願いを述べました。このような仏になりたいと。[摂法身](しょうほっしん)こういう浄土にしたい(摂浄土)。人々をこんな身に育てたい(摂衆生)という三摂(さんしょう)の願をたてられました。


願わくは、師の仏よ、この志を認めたまえ。それこそわたしにとって真の証である。わたしはこのように願をたて、必ず果たしとげないではおかない。さまざまな仏がたはみな、完全な智慧を備えておいでになる。いつもこの仏がたに、私の志を心にとどめていただこう。


と述べられ、最後には、

たとえどんな苦難にこの身を沈めても、さとりを求めて耐え忍び、修行に励んで決して悔いることはない。[仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔]


皆さまはお浄土っていくつあるか知っていますか。まさか極楽浄土だけだと思っていませんか。浄土とは本来、さとりの境地に入った仏、菩薩が住んでおられる「清浄な仏国土」を言います。サンスクリット語の経典では、浄土は「ブッダ•クシェートラ」すなわち「仏国土」と言われています。仏さまの数ほどあるのです。

親鸞聖人はご和讃に、

南無阿弥陀仏となふれば 十方無量の諸仏は

百重千重囲繞して 喜びまもりたまふなり

と、おっしゃっておられます。


お釈迦さまは、ガンジス川の砂の数に例えられ、親鸞聖人はそれを十方無量と言われました。とても数え切れないほど仏さまはいらっしゃるのです。しかしながら、私を救える仏さまは阿弥陀さまおひとりしかおられないのです。

答えは二百十億と言われています。

凄いですね

代表的な浄土は、阿閦仏(あしゅくぶつ)の妙喜国、薬師如来の浄瑠璃世界、大日如来の密厳浄土、毘盧遮那仏の蓮華蔵世界などがあります。しかしそれぞれ条件があります。


このような素晴らしい世界をお説きくだされた「讃仏偈」や「重誓偈」は短いですが、とても徳の高い偈文だと思います。それなのに「般若心経」が皆さまにはポピュラーになっていることが残念でなりません。

日頃でも、「讃仏偈」や「重誓偈」をお勤めしますと、短くて何かご利益がなさそうで嫌ですなどと言われることがあります。

長ければいいんでしょうか。いつも悲しくなります。自力では往生のできない私たちのために法蔵菩薩さまがひとりばたらきで仕上げてくだされた素晴らしい法であるのに、その親心がご理解いただけないなんて法蔵菩薩さま、阿弥陀さまはかわいそうでありますなぁ。


しかし、それでも願いはそういうあなたを私は救いたい、ただそれだけでありますと目覚めを願い続けておられるのです。願いで仕上げられた仏さまであります。背を向けられても変わらずに願いをかけ続けていてくださいます。

仏さまと凡夫たる私たちの根比べでしょうか。

浄土真宗のみ教えは、すでに仕上げられてある最高の法に対する御礼であります。

全ての仏がほめたたえていてくださる最高の法に出遇うために私たちはこの南無阿弥陀仏に出遇ったのです。


是非、形に囚われず内容にこそ意味があるんだ。だからこそ仏法聴聞を糧にしなくてはならないのだと知っていただきたいと思います。

ほめたたえている、それが浄土真宗のお勤めなんだとご紹介しました。


南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・

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