皆さま、こんばんは。
激動の衆院選を終え、ついに自民党が過半数割れになり国民からの怒りが炸裂しました。
「裏金問題」を棚上げした挙句に、石破総理の「負けるわけには行かない」と非公認候補に20.000.000円ものお金を投じるという、とてもまともな人の考えとは思えない愚策を講じて有権者の怒りに火を注いだ結果となりました。
自民党の大物が相次いで落選し、私の埼玉県9区でも落選しました。夫婦揃って裏金をたくさんもらっていましたからでしょうか夫婦共に落選しました。
立憲民主党、国民民主党が大躍進ですが、どちらも前回のあの悪夢の政権交代した旧民主党だということは忘れてはなりません。
つまり国民は消去法で野党第一党へ託したということであり、決して政権を委ねるとは違う気がします。
また大連立政権になりかは見守っていきたい。
しかし新たな代表の元、大惨敗し代表すら落選しましたのは驚きました。組織票はどうしちゃったのでしょうかね。
やはり池田先生がおられなくなった影響は甚大だったのでしょうか。
さて、人間世界は常に争いが繰り返されています。関心事も長続きはしません。特に日本人という民族はとても飽きやすいそうです。
熱しやすく冷めやすいのですか。
つまりは変わらないのではなく変わりゆくものだということなのでしょうね。
この度は仏さまの世界を訪ねてみたいです。
「仏のことは放っておけ」などと言われたりしますが、良くないことが続きますと私たち人間は仏さまや神さまにすがりたいという気持ちがわきますよね。(私は阿弥陀さまが宿っていてくださるので安心です)
曽我量深師のお言葉を通して真実なる世界をお聞かせいただきましょう。
一、仏様とは、どんな人か。仏様は、われは
南無阿弥陀仏と申すものであると名のっておいでになります。
二、その仏様はどこに居られるか、われを南無阿弥陀仏と念じ称える人の直前においでになります。
三、そんならその仏を私達が念ずるにはどのような方法がありますか。南無阿弥陀仏と一念疑いなく自力のはからいをすてて、静なる心をもって、仏願くは、この罪深き私をたすけましませと念ずるのであります。
これはだれでも、どこにいても、いつでも、かなしい場合でも、くるしい場合でも、たやすく自由に仏を念ずることができるのです。
この念が現前する時、いかなる煩悩妄念が襲い来っても、内心の平和は絶対にやぶれません。
是を真の救済と申します。
【昭和31年1月21日 渡米の際に東本願寺ロサンゼルス別院に贈られました】
真のお救いとは、諸行無常の世界に身を置きながら、悟りを求めることなく苦悩を重ねている私たちへの目覚めです。
目は開いているのに真実なるものから目を背き、一番当てにならない私を頼りにして間違いない、他が悪いと生きようとする愚かさからの目覚めを促されているのです。
どんなものであろうとも救わずにおれないという阿弥陀如来の仏願がそんな生き方の私たちに常にはたらいていらっしゃいます。
南無阿弥陀仏という声となって届いています。
どんなにはねつけて生きようが阿弥陀さまは「もし一人でも我が救いから漏れるならば私は決して仏にはならない」というご本願が先に仕上がり先に届いていてくださいます。
我が親が泣くことしか知らない私に「私があなたの親だよ」と先に名乗っていてくれたように、先手のおはたらきが今ここに届いていてくださるのだから安心じゃないですか。
それでも不安でたまらないって•••これが疑いの心であります。
「決して見捨てない」親心が南無阿弥陀仏の声となり信じることもできない疑いの私に先に届いているのです。
我が親が、連れ合いが、我が子が、諸仏のはたらきとなって南無阿弥陀仏を私に届けていてくださるって気づけた時、初めて私は喜びを感じることができるのでしょうね。
私もそうでしたからね。
仏さまがわからなくなりましたら、何度も曽我先生のお言葉を味わってください。きっとホッコリとすることができるはずですよ。
それでもまだモヤモヤする方は、是非超法寺へお越しくださいませ。
南無阿弥陀仏
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