皆さま、こんにちは。
この時間になるとやはり寒くなってきます。
昼間は暖かく感じられ過ごしやすかったのですが寒暖差が大きいので体調崩しやすいのでご注意しましょう。
さて今日は入間市に来て初めて入間市でスーツを作ってきました。土曜日に上がるそうです。
今までは池袋駅まで行っていました。
住職は身体が皆さまより若干大きいので、なかなかサイズがなくて困っていました。
それに滅多にスーツを着る機会もないためでしたが、来週は県庁まで挨拶に伺うため、さすがにそれなりの身なりで行きませんといけませんからね。
しかし平日ですからか店内には私一人でスーツ片手に店内をウロウロしても店員さんが居ない。こんなんでよくやっていけますね、不思議な感じがしました。余程、利益率が高いのでしょうか。そんなことを思いながら帰ってきました。
さて報恩講中であります。
改めて、自らの人生について問わせていただいています。皆さまは、南無阿弥陀仏にトキメクことってありますか?私にはわからない感覚です。今月の築地本願寺常例布教で私の前任者が「ナモアミダブツにトキメク‼️」という講題でお取次をされますので今から楽しみでなりません。きっと素晴らしい世界を語られるのでしょう。皆さまもYouTubeで「仏さまの教え」をお聞かせいただきましょう。
さて私たちはお互いに、死ぬまで煩悩(欲)から離れられない凡夫です。つまりは喜ぶべきを喜べない愚かな生き方をするということです。
恩師は「お念仏は宝物と思えるまで称えなさい」と、おっしゃられます。
そうなれたらいいなぁと常々思っていますが、未だならずであります。
「今」しか確かでない私、縁が尽きれば今夜でも参らせていただかねばならないこの私。
阿弥陀さまが仏になられてすでに十劫も過ぎていると親鸞聖人はご和讃でおっしゃっておられます。その間、わたしは幾度、命の生き死にを繰り返していたのでしょうか。
阿弥陀さまがいてくださられたのに、どうして私は未だに往生せずに輪廻転生を繰り返していたのでしょうか。
これがまさに「死ねば仏」ではないことの証です。
阿弥陀さまは必ず救うと、お誓いくだされたのに私は未だに凡夫であり続けているなんておかしくないでしょうか。
いえいえ、おかしくないんですよ。
だって阿弥陀さまがいらっしゃるのに私が避けてきたのですから。見ないように、聞こえないように。だから私の口が南無阿弥陀仏と声となってくださらなかったのです。
【弥陀の本願を信じ、念仏もうさば仏になる】
阿弥陀さまの本願のお誓いも知らず、だから信じることもできず、だから南無阿弥陀仏など称えられもできない私は幾度生き死にを繰り返しても苦しみから離れることがないのです。
しかしながら阿弥陀さまは、それでもそれでもと変わらずおはたらき続けておられるのです。
「決して捨てぬぞ、放しはせぬぞ」
そう、私が阿弥陀さまに背を向けていようと、常に私を仏道へ誘うためにおはたらきされているのです。
ただ生きているだけではなかなか阿弥陀さまのお誓いを知る機会はありません。
ではどうすればについてご紹介します。
阿弥陀さまのおはたらきのただ一点は、「私」ですが、「今、ここでの私」でしかわたしはないのです。阿弥陀さまのお救いは「私」を離れてはあり得ないことを知りたいものです。
これは仏法聴聞(法話を聞く)でしか知ることは大変難しいと思います。
では誰がその仏法聴聞の機会をくださるのでしょうか。
もちろん私のご先祖だと思います。
父であり母であり、おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん•••私の命のつながりをくだされた方々が命をかけて遇い難い仏縁を結んでくだされるのです。
この事実を知ることが肝要ではないかと私は思います。これこそ還相(げんそう)のおはたらきではないかと思います。
そのおいわれを知ることこそ大切なものだと思います。私に関わる全ての人たちが、それぞれの役目の中で遇い難い仏縁に誘ってくださいます。有難いのですね。
聞いておいてくれよ、心配ないぞ、間違わせはしないぞ、と南無阿弥陀仏の声を通して教えていてくださいます。
【仏法に、明日ということはない。今日の尊さ、今日のありがたさ】
For the Buddha,there is no tomorrow.
How precious today is.How grateful I am
for today.
ナンマンダブツ
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