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執筆者の写真超法寺の住職

不思議、不可思議な出来事

皆さま、今日はめちゃくちゃ降りましたね。水害にはなりませんでしたか、お見舞い申し上げます。さて私は朝から千葉市までお参りに行ってきました。行きはバケツをひっくり返すような雨でした。お施主からは「日程を変更しましょうか。」と心配の連絡をいただいていましたが、「私は超晴れ男ですから大丈夫だと思いますよ」とお伝えしていました。

現地へ着くとあらま不思議、空もうっすら晴れてきて雨も小降りになったのでした。「おぉ、さすがは晴れ男だね」と自画自賛していました。予定よりかなり早く着いていたので、長い間お世話になっている石材店の社長さんと近況報告をさせていただきました。亡き父とは本当に親しくしてくださり、お寺の事業の際は率先して父を助けてくださいました。私も千葉へ来て約40年ずっと応援していただいています。

もちろん、まさか私が父の後を継がずに埼玉県へ出たこと「築地本願寺都市開教」へ飛び出たことには驚いたのでしょうが、そこはやはり私と父との関係性を間近に見ておられたので納得してはくださっていると私なりに解釈しています。


また私でも知り得ない父の親としての私への本音も社長なりに優しくお話しくださいました。

つまりは私にとっては身内のような存在ではないかと思っています。大切なかたです。

さて、この後に不可思議なことが起こったのです。墓前でのお参りだったのですがお勤めの間はお見事に雨が上がったのでした。そして法話になったらまた土砂降りになったのです。ま、たまたまなのかも知れませんが、日頃なかなか仏縁に遇うことのない私たちに故人さまが善知識のおはたらきでそうしてくださったのではないかとお話しいたしました。


見えるものだけが真実ではありません。私が理解したものだけが正しくもありません。真実なる阿弥陀さまのおはたらきが故人を通して還相回向[げんそうえこう]の諸仏のはたらきになり今ここにはたらいていてくださるとお取次をさせていただきました。阿弥陀さまは南無阿弥陀仏という【声】の仏さまであります。

ということは、南無阿弥陀仏が声となり私に聞こえているということは、今、悩み苦しんでいる私の上に阿弥陀さまがはたらいていてくださるのです。それを手立てしてくださったのは他ならぬ故人さまなのです。そう受け止めていくことが亡き人を仏さまと拝んでいけるのではないでしょうか。浄土真宗のおみのりは、亡き人を死者として弔うのではありません。

亡き人を仏さまと拝んでいくのです。


だって常に私たちを煩悩の火を燃やしながら生きているお互いじゃないですか。そんな私たち【凡夫】は神仏から見捨てられる存在です。だからこそ阿弥陀さまの願いが建てられたのです。どうにかなる私たちなら阿弥陀さまもそんなにご苦労することもなかったのでしょう。

だから阿弥陀さまは、いのちあるもの全ての[親]になろうと誓われたのです。

親は我が子のために自らが鬼となり地獄に堕ちようとも我が子を守る動きをされます。それが我が子に理解されなくても親は我が子のしあわせを案じ続けるのだと思うのです。


反論もありましょうが私はそのようにお味わいさせていただいています。反論は甘んじて受け入れます。それでも私はそう思っています。

親とは自らが先に全部支度をしていてくださるものです。だから家政婦では親の仕事は務まりません。


あのお勤めの間だけ止んだ雨は私には故人さまがはたらたいていたからこその出来事だったとそう思っています。

【親の願い、ナンマンダブツ】

その南無阿弥陀仏の声にまかせてくれよ、聞いておいてくれよと私が気づく前から喚びかけていてくださるのです。だから親は有難いのです。


[親は死して尚、我が子を育てる]

サヨナラしたんじゃないぞ、また遇えるんだから、どうかあなたの人生の中でお父さん、お母さんの名を呼んでくれよ。お父さん、お母さんの名前は【ナンマンダブツ】だから間違えてくれるなよ。


是非、ブログを読んでくださった方にはそう受け取っていただきたいですね。我が子が我が親にできる感謝は南無阿弥陀仏と声に称えることですよ。まかせたら必ず私の口から南無阿弥陀仏の声となりますから。つまりまだ我が口から南無阿弥陀仏が声になっておられない方は、まだ故人さまがご先祖が仏の道を歩んでおられるんだということを[疑っている]のです。

疑っている人には南無阿弥陀仏は称えられません。

是非、ナンマンダブツと声に称えることのできるあなたになってくださいね。


そう思いながら今日は一日、懐かしい千葉市へ行きました。今日お遇いさせていただけた皆さまに感謝申し上げます。

南無阿弥陀仏、ナンマンダブツ。

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