皆さま、こんにちは。台風の影響はいかがでしたか。大きな災害に遭われた方々には衷心よりお見舞い申し上げます。私はおかげさまにて、庭の看板が吹き飛びたくらいで済みました。
また新たな台風が発生するようですので用心したいですね。
さて秋彼岸の中日を迎えます。
台風一過の今こそ仏法を聞くチャンスですが、また台風の影響が出るようなので天気が心配です。
このように、そのうちそのうちに•••と思っているうちに結局聞けずに人生を終えてしまったら実に勿体ないと思います。
せっかく仏法を聞くチャンスの人間に生まれたのにそれを知らずに命を終えてしまっては。
死んだだけでは「迷い」を離れていくことはできません。またずっと苦しみ、悩み、不安から逃れられずに生き死にしていかねばならないのです。
ご先祖が必死に身をかけて私に仏法聴聞の機会を結んでくれたというのに。
それではご先祖への感謝も供養にもならないのでは無いでしょう。
さて、仏教をお開きになられたお釈迦さまの絵を見たことがあるでしょうか。いつも人間だけではなく鳥や動物の絵が描いてあると思います。
特にお釈迦さまが亡くなられた時の涅槃絵には鳥や動物も嘆き悲しむ姿が描かれています。
なぜでしょうか。
よく仏教は人間のための仏の教えと思われていますが、確かにお釈迦さまの説法(お経)は人間しか理解することができないと言われます。動物は畜生道の生き物だから地獄にしか行き場所がないみたいな扱いを目にして私は愕然とします。
本当に仏教は人間だけのためにある教えなのでしょうか。
今一度考えたい。
彼岸とは「安らぎの世界を西へ見ていく」さとりの世界を知るための行事であります。
それはなぜか?それは聞いていかねば決してわかりません。暑かったり寒かったりでは聞こうとはしないために、暑さも寒さも厳しくない春秋に先人が私たちに仏法を聞いて欲しいとの願いから行事として残してくだされた日本独自の仏教行事です。
それをお墓参りだけで済ませたらあまりに勿体無い。
私たち人間は自分の欲望を優先して生きている、だから日々身勝手な事故、犯罪が繰り返されているのですね。
【他人のわがままはゆるせない 自分のわがままはあたりまえ】
ウチの前にある雑木林にカラスが降りてきて餌を食べています。仲間たちでしょうか、家族でしょうか、鳴き声につられてやってきます。
ひしめき合うようにして食べています。
するとスズメなども近寄ってきますが、カラスは大きいのでなかなか餌場に近寄ることができずにいます。
しばらくするとカラスは餌場を離れていきます。
するとスズメたちも嬉しそうに餌を食べ始めたのです。
カラスはもうお腹がいっぱいになったのかな。
しばらく観ていると、何と戻ってきてスズメたちと一緒に仲良さげにして食べ始めたのです。
共に分け合っているのでしょうか。
この姿を見ていると何か恥ずかしい気持ちになりました。私たち人間は、スズメやカラスのように独り占めせず、また異質なものも排除することもなく「共に」相手の立場を認め合って生きているだろうか、と考えてしまいました。
真実なる神仏はきっと、自己中心的に生きている私たちの姿を見通されているように思います。
しかし、それに気づかずに私たち人間は自分の都合で神頼みを繰り返す。
そんなものが正しいのでしょうか。
間違いないのでしょうか。
改めて自己研鑽する場所こそが、仏法聴聞の機会とすべきではないかと考えるのです。
「自分のわがままはあたりまえ」の世界からは、他者に想いを寄せたり、寄り添うという心など怒ることはない。だから「争いが絶えない」。
私たちは一人で大きくなってきた、自分の努力だけで人生を生きてきたと思いがちです。
しかしながら、よく考えてみると、さまざまなご縁によって生きているのです。
それに気づくのは、やはり仏法を聞くことではないでしょうか。
【我あるが故に彼あり 彼あるが故に我あり】
今や日本で起こる凶悪殺人事件の約65%が身内間で起きていることをご存知ですか?
皆さまの家族、親戚は仏法を聞く人たちですか?
聞かないと、きっといつかこの65%に加わらねばならないかもしれませんよ?
よほどの縁があったからこその私たち家族、身内です。皆仲良く明るく笑顔でお付き合いしたいものですね。
『七つの子』
からすなぜなくの からすは山に かわいい 七つ
の子があるからよ
かわい、かわいと からすはなくの
かわい、かわいと なくんだよ
山の古巣へ いってみてごらん
まるい目をした いい子だよ
作詞/野口雨情 作曲/本居長世
※日本には昔からこのような心温まる童謡歌があります。この七つの子を「からすね勝手でしょう」と、歌い流行ったことで童謡歌が歌われなくなってしまったと聞きました。そういえば市原悦子さんの声でお馴染みの『日本昔話』は子どもの心を育てた素晴らしい番組でしたよね。今こそ子どもさんに見てもらいたいと私は常々思っています。
お彼岸の中日を迎えるにあたり、想いを書きました。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
Comments