超法寺の住職2022年2月20日読了時間: 4分仏は助ける、私は助かる皆さま、こんばんは。今日一日いかがお過ごしでしたか?週末は雨が降ってみたり寒かったりでしたね。新型コロナウィルス感染だけじゃなく風邪にも気をつけなくてはならないです。さて今日お参りに行った先でのお話をご紹介しますね。初めてのご縁でお母さまとお兄さまの年回法要と、この度ご本尊(阿弥陀如来の絵像)をお迎えしてくださいましたので入仏式(入仏法要)を併せてお勤めいたしました。今までは生前、お母さまがお参りやお飾り(荘厳)をされていたそうですが、お母さまが亡くなられた後、お父さまがクリスチャンであったり諸事情でなかなか浄土真宗のご縁がきちんと結ばれていなかったそうでした。しかしながら、色々お尋ねくださりましたのでご本尊をお迎えして、お骨やお写真、位牌に手を合わせるのではなく、阿弥陀如来を拝ませていただくことが大切だとお伝えしましたら今回、お迎えくださったのでした。『仏説阿弥陀経』を勤め、入仏式は『十二礼』を勤めました。その後、『浄土真宗のみ教え』(親鸞聖人の言葉)を拝読して、10分ほど法話をしました。そこで、お念仏はどのように称えるのか、なぜ称えるのかなど阿弥陀さまの「ご本願」について易しく丁寧にお取り次ぎしました。法要後、お茶を呼ばれながら施主の息子さんやお父さまと色々お話しました。少しずつ、自身についてや故人についてお聞かせくださいました。お父さまは、自身はクリスチャンでエホバの証人の信者だとお話された上で、「今回初めてきちんと浄土真宗のみ教え、お救いのはたらきについて聞きましたよ。今までは通夜の時や四十九日の時にもお坊さんの話は聞いていたが、これほど的確なことを聞いたことはありませんでした。このような世界は、残念ながらエホバの証人には無い世界です。素晴らしいのですね。」と、話されとても喜んでおられました。決して浄土真宗は他宗を悪く言ったり、他宗教を否定して攻撃したりはいたしません。ただ、この命終わるまで「煩悩」から逃れられない生き方しかできない私を「救いの一番」にして願いを誓われている阿弥陀如来さまには区別も無いのです。続いてお父さまは「私は地獄だけには堕ちたくないと思い、この宗教の信者になりました。」「何か思い違いをしていたのかも知れませんね。」とも、おっしゃいました。確かに阿弥陀如来さまは、「あらゆる命を救う仏となられました」親鸞聖人も、過去は一切問わないと言われています。「そこを経(へ)なくては遇えない道があるのです」と言われています。阿弥陀如来さまは、はるか昔からずっとはたらき続けておられる仏さま。ただ、私が阿弥陀如来と会うことができなかったから、ずっと輪廻転生を繰り返しているのですね。つまり阿弥陀如来さまにお出遇いをさせていただければ、もう今生にて輪廻転生はお終い!皆さま、キョトン!とした顔をされていました。息子さんが、「私はまだお念仏称えられていませんよ?」と言われました。安心しましょうよ。阿弥陀如来さまは、称えたら救う仏さまじゃないですよ。阿弥陀如来さまの方からお救いを願い、その願いを南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と私たちに声のはたらきとなって届けてくださっています。それがこの度、お母さまとお兄さまがお二人がタッグを組んで私たちに届けてくださったと受け止めてみませんか?そうすれば、より有り難く感じられませんか。こうして無宗教であっても、他宗教であっても一切問わないはたらきが南無阿弥陀仏と喚んでいてくださるのだから。親鸞聖人のお書きくださいました『教行信証』の『総序』に、【超世希有(ちょうせけう)の正法(しょうぼう)、聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ】と言われています。これは《ご本願のいわれを聞きひらき、疑いためらってはならない》という意味です。ちなみに超法寺の寺号はここから付けましたよ。この言葉を大切にしていくお寺にしたいとお話ししました。この度の仏縁、他宗教の信者さまから喜んでいただけたことに安堵し、益々、阿弥陀如来さまのご本願のはたらきが頼もしく感じました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
皆さま、こんばんは。今日一日いかがお過ごしでしたか?週末は雨が降ってみたり寒かったりでしたね。新型コロナウィルス感染だけじゃなく風邪にも気をつけなくてはならないです。さて今日お参りに行った先でのお話をご紹介しますね。初めてのご縁でお母さまとお兄さまの年回法要と、この度ご本尊(阿弥陀如来の絵像)をお迎えしてくださいましたので入仏式(入仏法要)を併せてお勤めいたしました。今までは生前、お母さまがお参りやお飾り(荘厳)をされていたそうですが、お母さまが亡くなられた後、お父さまがクリスチャンであったり諸事情でなかなか浄土真宗のご縁がきちんと結ばれていなかったそうでした。しかしながら、色々お尋ねくださりましたのでご本尊をお迎えして、お骨やお写真、位牌に手を合わせるのではなく、阿弥陀如来を拝ませていただくことが大切だとお伝えしましたら今回、お迎えくださったのでした。『仏説阿弥陀経』を勤め、入仏式は『十二礼』を勤めました。その後、『浄土真宗のみ教え』(親鸞聖人の言葉)を拝読して、10分ほど法話をしました。そこで、お念仏はどのように称えるのか、なぜ称えるのかなど阿弥陀さまの「ご本願」について易しく丁寧にお取り次ぎしました。法要後、お茶を呼ばれながら施主の息子さんやお父さまと色々お話しました。少しずつ、自身についてや故人についてお聞かせくださいました。お父さまは、自身はクリスチャンでエホバの証人の信者だとお話された上で、「今回初めてきちんと浄土真宗のみ教え、お救いのはたらきについて聞きましたよ。今までは通夜の時や四十九日の時にもお坊さんの話は聞いていたが、これほど的確なことを聞いたことはありませんでした。このような世界は、残念ながらエホバの証人には無い世界です。素晴らしいのですね。」と、話されとても喜んでおられました。決して浄土真宗は他宗を悪く言ったり、他宗教を否定して攻撃したりはいたしません。ただ、この命終わるまで「煩悩」から逃れられない生き方しかできない私を「救いの一番」にして願いを誓われている阿弥陀如来さまには区別も無いのです。続いてお父さまは「私は地獄だけには堕ちたくないと思い、この宗教の信者になりました。」「何か思い違いをしていたのかも知れませんね。」とも、おっしゃいました。確かに阿弥陀如来さまは、「あらゆる命を救う仏となられました」親鸞聖人も、過去は一切問わないと言われています。「そこを経(へ)なくては遇えない道があるのです」と言われています。阿弥陀如来さまは、はるか昔からずっとはたらき続けておられる仏さま。ただ、私が阿弥陀如来と会うことができなかったから、ずっと輪廻転生を繰り返しているのですね。つまり阿弥陀如来さまにお出遇いをさせていただければ、もう今生にて輪廻転生はお終い!皆さま、キョトン!とした顔をされていました。息子さんが、「私はまだお念仏称えられていませんよ?」と言われました。安心しましょうよ。阿弥陀如来さまは、称えたら救う仏さまじゃないですよ。阿弥陀如来さまの方からお救いを願い、その願いを南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と私たちに声のはたらきとなって届けてくださっています。それがこの度、お母さまとお兄さまがお二人がタッグを組んで私たちに届けてくださったと受け止めてみませんか?そうすれば、より有り難く感じられませんか。こうして無宗教であっても、他宗教であっても一切問わないはたらきが南無阿弥陀仏と喚んでいてくださるのだから。親鸞聖人のお書きくださいました『教行信証』の『総序』に、【超世希有(ちょうせけう)の正法(しょうぼう)、聞思(もんし)して遅慮(ちりょ)することなかれ】と言われています。これは《ご本願のいわれを聞きひらき、疑いためらってはならない》という意味です。ちなみに超法寺の寺号はここから付けましたよ。この言葉を大切にしていくお寺にしたいとお話ししました。この度の仏縁、他宗教の信者さまから喜んでいただけたことに安堵し、益々、阿弥陀如来さまのご本願のはたらきが頼もしく感じました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
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