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執筆者の写真超法寺の住職

どうして生きねばならないのか

皆さま、おはようございます。

昨日の夕方は突如の豪雨にと雷には驚かされましたね。

お通夜に向かう途中でしたがバケツをひっくり返すような雨が。

ワイパーが追いつかないくらいの雨でした。

加えて雷が落ちてきて、目の前にも落ちてびっくり。目がチカチカして

しばらく視界がおかしくなるほどでした。あれほどの雷は経験がないほどでした。

トンネル内は冠水してしまうほどで危うく時間に遅れるところでしたよ。

何とか間に合ったのですがヒヤヒヤしちゃいました。

自然現象ではありますがやはり時間には余裕を持って行動しなくては怖いですね。

昨日は千葉市までお月忌参りへ行った後、東京都東久留米市までお通夜でした。


今日はおかげさまで普段通りの朝です。きっとまた暑くなるのでしょう。

皆様も何があっても不思議ではないこの娑婆世界ですから油断なきようお見舞い申しあげます。

 名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて力なくして終わる時、

 かの土へは参るべきなり

幾度となく皆さまにはご紹介していますが、『歎異抄』の一節です。

お互いに若かろうが、元気だろうが、私の都合には生きれません。

縁が尽きればいつでもどこでも命を終えていかねばなりません。

待ったなしであります。たまたまこの歳まで生きてこれました。

私が頑張ってきたのですが、もちろんご両親のご苦労があってのことでもあったでしょう。私の人生を振り返ってみても記憶にあるだけで4回も命が終わっても不思議ではなかったことがありました。それなのにおかげさまでここまで命を保ってくることができました。生きているとは私が生きねばならない役目があると言うことです。


それが何かは生きてみるしかありません。生きてみてこそわかる世界です。

私に与えられた時間なのです。何のために生まれて、何のために生きるのか。

皆様は知っておられますか。ご両親やお爺さん、お婆さんから教えていただけましたか?もしかして知らずに生きているのでしょうか?でしたら不安ですよね。

不安じゃなかったらメンタルが強いのでしょうか。

もしかしたら知らないから、気づいていないから、生きることに一生懸命だからなのでしょうか。でも、疑問を持つと変わるのです。

それは当たり前ではなかったことにきづいたからではないでしょうか。

私はそうでした。学生時分に健康診断で自分だけ再検査に病院へ行かされた時、不安でたまらなかったのが懐かしい。京都にいた時だったので親のそばにいなくてただただ不安でした。また30歳手前で体調を崩して人生初の死亡宣告を経験し、30代後半に入院生活。退院後に愛犬の急死を経験し、無常ということ、愛する者との別れの悲しみ苦しみ、絶望にも似た孤独感を私は経験しました。何気ないことかもしれませんが実感として何のために生きているのか、どこへ向かうべき我が命であったのかを知らされた事案でありました。その上に長男なのに父の後継とはなれずに失意の寺院退職しての首都圏都市開教専従員への道を歩むことになったのが現在の私であります。


もちろん不安もありました。蓄えも少なく勢いだけで飛び出した愚か者ですが、今思えば私はこうなるべき人生であったように感じられます。自身の人生を振り返ってみるとこうなることが使命であったように思えるのです。

だからこそ生きてみなければならないのですね。勝手に自分で人生の幕引きなどしてはならないのです。自分で自分の人生を放棄しても決して楽にも幸せにもなれないのです。むしろもっと苦しんでいかねばならないのだから。

何のために生きるのか、それは無常の迷いの命を終えていくために生きるのです。

そして遇うことのなかった真実の阿弥陀さまにお遇いさせていただいてお念仏を申し、ナンマンダブツを人生の灯として生きることを知って人生を生き切る。

そして阿弥陀さまの大慈悲心のおはたらき(他力本願)によってお浄土に往生させていただいて二度と苦しみの輪廻転生をすることのないやすらぎの仏のさとりの身にならせていただいて、次にはこの五濁悪世たる娑婆世界に戻ってきて私たちのような凡夫を私たちと同じように仏さまの世界に誘うお仕事をさせていただくのですね。


これを往相、還相と言います。

『正信偈』には、往還回向由他力

とおっしゃっておられます。

私たちの自力では往生できないのです。

阿弥陀さまのお力である他力によらねば私たちが往生する道がないことを私たちの人生において知らせてくださるのですね。

わたしもそのはたらきによってきづかせていただきました。

今日もまた、安心してお念仏を申しながら生きていきます。

皆さまもどうぞ一日も早く南無阿弥陀仏を口に称えられるようにならせていただきましょう。またもうお念仏をいただいている方も御恩報謝(有難う)のお念仏と受け止めてお念仏を称えながら生きてください。

今日は赤坂までお参りしてきます。

南無阿弥陀仏

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