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「たのむ」は頼むじゃないよ

執筆者の写真: 超法寺の住職超法寺の住職

皆さま、おはようございます。

今日は雨は上がり良い天気に恵まれましたが春一番のような風が吹き荒れていますね。
これは花粉がかなり舞い上がりますね。
僕も花粉症ですが厳しい一日になりそうです。
でも不満、不足を言わずに、なったまんまを生きていこうと思います。

さて、皆さんにお知らせしていました超法寺住職、末田雅裕の法話が築地本願寺YouTubeチャンネルにアップされました。

初めての経験で勝手もわからずに初めは言葉も堅苦しくなっていましたが、途中からカメラを見据えることをやめ、私の後に控えていた友岡新ご住職に目線を向けることでいつもの私らしい法話を取り次ぐ形になることができました。


あまり専門用語を用いずに話すこと、意味説明も辞書型ではなく、自らの中に落とし込めたものを味わいとしてお話しすることを大切にしました。どうでしょうか。

私らしくなっていましたか?

ホッコリしていただけたなら大丈夫。

たのむ=まかせる

これが浄土真宗のみ教えですね。


私自身、視聴してみて感じたのは「関西弁」口調になっていたような。笑
私は東京都墨田区生まれ、千葉県千葉市育ち、中学卒業とともに京都の浄土真宗本願寺派の高校、大学、専門学校、西本願寺勤式指導所(練習生)と、長く京都にいました。
そのために関西弁になったり、両親が広島県出身のため広島弁で話したりするのです。

だからか、よく「ご住職はどこの出身ですか?」と尋ねられます。
一番長く住んだのは両親がいる千葉市です。
それでも人生の何たるかを学んだのは京都でありました。

夢のようなYouTubeに私の法話がアップされるような機会があるなんて感激ですね。

築地本願寺や西本願寺に恩返しするために日々精進しているのに、逆なことにしてしまわないように気をつかいました。笑


今回は敬愛する大阪の恩師、天岸先生からお聞きしたお味わいを私なりにいただかせていただいた「依憑」(えひょう)をお伝えしましたが、肝心の「許諾」(こだく)という言葉を使うことを忘れました。汗

こういう「忘れん坊」が私のダメなところ。

わかっているのに、いつもやらかすんだよ。


確かに「忘却」は人の常とは言いましたが。笑


しっかりと受け取っていくのですよ。
受け取ったら受け取った「証」がいるのです。
宅急便もそうでしょう?
確かに最近はAmazon形式も増えてはきましたが、「証」があります。

阿弥陀如来さまのお願いを私が受け取ったら、私の愚痴や悪口が大好きなこの口が「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏•••」と、声となって出てくださるのです。


まだ南無阿弥陀仏が出ない方は、まだ阿弥陀如来さまのご本願を疑っておられるってことだと思います。
人間は、知らないこと、聞いたこともないことを信じなさい、と言われても決して信じませんよね?
それと同じようなものです。
同時に興味ないことであっても、聞いていたことは何かのきっかけで思い出したりしますよね。だから聞いてみる、ということは非常に大切なことなのですね。

聞いて忘れて、忘れて聞いて、

わたしゃ籠耳

お慈悲の水に今日も一日ざぶりと浸かり、

ご恩喜ぶ、しあわせ者よ


「籠耳」渡邊尚爾師


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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