皆さま、おはようございます。
良い天気を迎えましたね。有難いですね。
また暑くなることでしょう、熱中症にはくれぐれもご注意くださいませ。こまめにお水または麦茶を飲んでください。お茶(緑茶)はカフェインがあるので飲んでも水分が体外に排出されて脱水症状が出ますので気をつけてください。
さて日頃から馴染み深いお勤めの『正信偈』ですが、悲しいかな近頃では「長いから」と敬遠される方が多くなっています。どうしてみ教えだというのに、こちらの都合にしたがるのか。
人間とは凡夫とは厄介でありますね。
それだからこそ阿弥陀さまは遥か十劫の昔より南無阿弥陀仏の声となられて私たちを喚び続けておられるのです。
それに気づきもせずに、『般若心経』じゃダメですか?という。答えはダメです。
何故なら、私たちのような在家で、尚且つ煩悩具足の凡夫たる私は自力の道では救いに遇えないからです。
また、『正信偈』は親鸞聖人が自身のお救いに出遇えた喜びを、他力本願の道をお伝えくだされた七高僧への讃嘆[さんだん]が表されています。皆さまだって、迷いの中にある私ということを教えてくださり、その迷いから逃れる道は南無阿弥陀仏と阿弥陀さまのお誓いによってのみだとお聞かせくだされたご先祖さまのお心が言葉となっているんだということならば、長いとか不足は言わないのではないでしょうか。
不足を言っちゃいます?
浄土真宗のみ教えは、いつもご紹介していますがHELP MEではありません。THANK YOUなのであります。これが理解できなければ、どうやっても浄土真宗はわかりませんよ。
私のお願いを仏さまにお願いしたってダメです。だって私のお願いはいつも私の自分勝手な欲を満たすためだからであります。
お釈迦さまが「人生は苦なり」と教えてくださっても、「苦」から逃れたいという欲求ばかりであります。「生きる」ということは、「苦」が伴うものであります。それなのに「苦」は嫌だけど「長生き」はしたいというワガママを言うのが凡夫たる所以であります。
昨日の都知事選の結果をどう思われましたか?
「私は都民じゃないから関係ない」なんて悲しいことを言わないでくださいね。皆繋がっているのが私たちの生きる世界です。ましてや日本の中心であります。とても知らんぷりなどできやしません。若い人が少しでも興味を持ってくれたらなんていうけど、実はどれだけ若者が頑張って投票しても現実は現職には勝てない理由があるのです。知っていましたか?
40歳以上の有権者は約50%が投票行動するそうです。高齢者になればもっと多くなります。
そうなれば日本の人口比率を見て欲しい。
若者がどんなに投票行動しても、今回で言えば二位候補は勝てないと言うことなのです。
じゃあ、やっぱり選挙なんか行っても仕方ないじゃないかよ、って言うじゃない。
そうじゃないんですよ。未来が見える国家は人口比率が若い世代が多いものなのです。だから日本は若い人は結婚しようとしない、子どもを産み育てることを推進しない。そういう構造ではそもそも民主主義など成り立たなくなってしまったのですね。その理解がない限りいくら騒いでも一部の特権階級の人ばかりが笑えることになるのです。ここを問わずして語るから選挙がお祭り騒ぎで終わってしまうのではないでしょうか。そんな気が住職はしますが、私が独り身で子どもがいないので説得力はありませんけどね。私は欲しかったけど「縁」がなかっただけですよ。
話が逸れましたね。
『正信偈』は、[帰命無量寿如来 南無不可思議光]から始まります。
これは親鸞聖人ご自身の信心を表明されたのです。現代語訳では[限りない命の如来に帰命し、思いはかることのできない光の如来に帰依したてまつる]であります。
『仏説阿弥陀経』には、[舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、すべての国々を照らして何ものにも妨げられることがない。それで阿弥陀と申しあげるのである]とあります。
阿弥陀は光の仏さまです。
【智慧】を表します。
[無量の光明]はインドのサンスクリット語で[アミターバ]と言います。
無量光であり、[不可思議光(仏)]です。
[また舎利弗よ、その仏の寿命とその国の人々の寿命もともに限りがなく、実にはかり知れないほど長い。それで阿弥陀と申しあげるのである]『仏説阿弥陀経』現代語訳
阿弥陀仏は限りないいのちをもつ仏で【慈悲】を表します。[無量の寿命]は、サンスクリット語で[アミターユス]と言います。
ここでは[無量寿如来]です。
浄土真宗のご本尊[もっとも尊い仏さま]は阿弥陀如来です。[無量寿如来]や[不可思議光仏]も阿弥陀仏の[徳]を称えた名前です。
[南無]も[帰命]も、心から深く信じ敬うという意味であります。
しかしながら、仏さまは私たちの信心[自力]はあてにされません。【他力本願=阿弥陀さまの信心】によってのみ私たちは救われていくのです。そのいわれを親鸞聖人の『正信偈』和讃を読誦しながらお味わいをしていくのです。
だから長いとか言ってしまうのは実に残念のことだと思う。
浄土真宗には『讃仏偈』や『重誓偈』という、とても、素晴らしい教えの[偈(うた)]があります。讃仏偈なら約5分、重誓偈なら約3分で読むことが可能です。内容も死ぬまで煩悩から離れられない凡夫たる私たちには最高のみ教えの内容であります。
それなのに人間は、「そんな短いお経で済まされたら功徳がない」などと文句を言う。
長くても短くても文句ばかり。
だから阿弥陀さまは、受け止めやすい、称えやすい、保ちやすい六字の名号、南無阿弥陀仏をこしらえてくださったのですよ。ワガママ言いたい放題の私たちが一番受け入れやすい法が南無阿弥陀仏なのですよ。
お経には[聞其名号]と、「聞いておいてくれよ」と言われています。聞く場に身を置くこと、つまりは葬儀や法事の場に身を置くことをススメていてくださっているのです。
昭和までは皆さま、積極的にご先祖の仏事を勤めていました。それなのに今では葬儀も家族葬になり、法事もやらなくなり、葬儀に至ってはお坊さんすら呼ばなくなってきました。呼んでも見たことも聞いたこともない一見さんのお坊さんではなかなか悲しみに暮れるご遺族に寄り添っていただけることは難しいのでないでしょうか。それでもお経だけ読んでくれたらそれでいいと言われるようですが、そうなれば近い将来、私たちお坊さんは世の中から要らない存在となりうるのではないでしょうか。AIに仕事を奪われていくのかも知れませんね。
そうならないためにも、私は親鸞聖人が、蓮如上人がお伝えくだされた仏法を一人でも多くの方々にお伝えしていかねばならないと思いながら日々精進を重ねています。
さて今日も一日、南無阿弥陀仏を称えながら強く明るく生きぬきます。
南無阿弥陀仏
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