皆さま、夜分遅くに失礼します。
ウチの雅くんは最近では夜泣きが日に日に多くなりました。やはり私が目の前にいないと不安になるようです。ずっと一緒に生きてきました。きょうだいたちよりも絆は深いです。
言葉は交わせないけど以心伝心であります。
あの日、あの時、皆が私に背を向けて離れていったあの頃も、雅くんは私の側に笑顔でいてくれました。あの人が私の元を去ったあの時も、黙って私の隣に寄り添ってくれたのが彼でした。失意のどん底にいた私に彼の優しさは今でも忘れません。
それほど、ペットなどとは言いたくない欠かせない存在です。研修中にやはり長きに渡り一緒に生きてきた蓮ちゃんがこの世を去ったのですが、その日は朝からお参りに出て、出る時に口にお水を差したのが最後でした。帰ったら亡くなっていました。看取ってもあげられなかった情け無い私でした。研修を休んで近くのお寺で火葬しました。何とも言えない寂しさがありました。
この世に生まれたからには、人も動物も皆必ず命を終えていかねばなりません。
もちろん私も例外ではありません。
『歎異抄』にも、
なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて力なくしておはるとき、かの土へはまいるべきなり。
とあります。
若いとか元気だとか私の都合の良いことにはならないのが私たちが生きている娑婆世界です。無常世界は無いことを願ってもそうはならないのです。この世に真実を求めても私には真実はございません。あるのは死ぬまで尽きることのない[欲]であります。俺が俺が、私が私がの[が]を離れていくことはできません。
これを【凡夫】(ぼんぶ)と言います。
凡夫の身では残念ながら死んでも苦しみを逃れる術はございません。
凡夫が救われる道は、阿弥陀如来の他力本願におまかせして南無阿弥陀仏を称える身にならせていただいて、阿弥陀如来の大慈悲心に救うていただく他はないのです。
[死ねば仏]は、阿弥陀如来の他力におまかせすることを知る者だけであります。
幸いにも私たちの親が縁者が阿弥陀さまのお使いとして何もわからない、わかろうともしないで自分中心の偏見から逃れることのない私が南無阿弥陀仏のおはたらきによって、そのまま抱き取られてお浄土参りをさせていただくのです。天国じゃないですよ。間違えないで。
わからないまんま、我が親が爺ちゃんが婆ちゃんがその命を通して阿弥陀さまのお救いを教えてくださるのです。まかせよ、救うと。
✖︎HELP ME BUDDHA[助けてください]
⚪︎THANk YOU BUDDHA[ありがとうございます]
英語だとわかりやすいですね。
頼んだから助けてくださるんじゃない。
あらゆる命を必ず救う仏となったぞ〜。
これは阿弥陀さまのみがそうなられました。
南無阿弥陀仏を聞いてくれよ〜。
聞いといてくれよ、なのです。
知らず知らずのうちに聞いたことのある私は、知らないうちに阿弥陀さまの他力本願が私に届けられていたのです。
だから、有難うなのですよ。
お父さん、お母さん、有難う。
親の恩を知らされて生きる子どもは喜びがあります。当たり前などないんだよ。
せっかく生まれ難い人間に生まれたのだから、宝物[南無阿弥陀仏]を手に入れなくてはなりません。金銀ではありません。本当に宝物はもう二度と輪廻転生を繰り返さない悟りの命をいただくことであります。
真実の宝物、それが南無阿弥陀仏なのです。
神様からも拝まれる私なのです。
阿弥陀さまは神様が敬伏される存在であると親鸞聖人はご和讃でお示しくださいます。
「天神地祇も敬伏し、魔界外道も障礙(しょうげ)することなし」と、おっしゃる。
天の神、地の神もひれふして、念仏者(南無阿弥陀仏を声に称える者)を敬ってくださる。また悪魔や外道も同じく念仏者を邪魔することはできない。さまたげることはできない。
それはどうしてか。
私はどこどこまで行っても自己中であります。他人には厳しく自分にだけ優しく生きているワガママし放題のこの私。実にお粗末な、それでいて恥ずかしいとも思わず生きている情け無い私であります。その私は南無阿弥陀仏という宝物をいただいたからこそなのであります。
いただきもできない私をどうして神々が敬ってくださるでしょうか。
知らず知らずのうちに南無阿弥陀仏が私に届けられ、いつのまにか愚痴の私が南無阿弥陀仏を声に称える私にならせていただけたからこそ、この私を神々が敬ってくださるのです。
だからこそ、私たちも神々を疎かにはできないのですね。敬ってくださるならば、こちらも礼を尽くさねばなりませんね。
【敬えども信ぜず】
これが浄土真宗の神に対する態度がしめされておることであります。
よくよくお聞かせいただきたいですね。
私の都合で信じたり疑ったりではいけません。
信じられない私であることは阿弥陀さまはとっくにお見抜きくだされています。
だから、安心しておまかせすればいいのです。
どんな時も南無阿弥陀仏とお念仏をお称えして生きていけばいいのです。
いずれ参らせていただくのです。
一人なんかじゃないよ、南無阿弥陀仏の阿弥陀さまとご一緒にお浄土へ参らせていただき、懐かしいあの人とまた遇わせていただくのです。
お母さん、そうですよね。
教えてくれてありがとうございました。
お母さんの温もりにまた遇えますね。
南無阿弥陀仏、おやすみなさいませ。
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