top of page
執筆者の写真超法寺の住職

お盆とは大衆供養

皆さま、こんにちは。

日本のはるか南で台風が発生しました。

日本まで来れば少しは涼しくなるのかも知れませんが被害が心配にもなります。

この激暑の中いかがお過ごしですか。

超法寺はすっかり暇を持て余しています。

引越ししてからずっとこんな感じになっています。たまたまだと思いたいですね。


まだまだ引越し荷物の仕分けができずに連日あれはどこへ行ったんだろうかとバタバタしている始末であります。お恥ずかしいですが、未だに子どものように片付けが出来ない還暦前の私です。今日も、ずっと探していたものをようやく探し出しました。安堵しました。

まだまだあるのです。

整骨院の先生からは重いものを持ったり運んだりしないでくださいとは言われるのですが、何分にもお独りで生きていますから、ジッとしている訳にもいかずにこの有り様です。

することが山積みになっております。


さて、お盆ですのでお盆についてお話しましょうか。皆さま、お盆参りはされますか。大切な仏事ですから怠らず勤めてください。超法寺では第4土曜日にお勤めいたします。また、ご自宅での読経もいたしますのでご依頼ください。


うどん供えて 母よわたくしも いただきます

る [山頭火]


お盆には亡き父母を偲んで、このような謙虚な心持ちを込めて供養したら両親もさぞ喜ばれることでしょうね。


お盆とは、盂蘭盆の略です。

『盂蘭盆経』に基づいて広く行われている仏教行事です。「うらぼん」とは、ウッパラナの音写で倒懸(とうけん)の苦しみという意味があります。

十大弟子の一人、目連の母が餓鬼道におちて倒懸の苦しみを受け、骨と皮とにやせ衰えています。目連のこれを救いたいという孝心(こうしん)に答えて、お釈迦さまが祇園精舎でお説きになられています。

亡者の世界は人間の世界とは次元が違うので肉眼では見えません。道眼(どうげん)で見た世界です。

目連の母には「罪が深い」から、一人の力では救うことができない。母親は子どもを育てるのに、可愛い、可愛いの一念から、知らず知らずのうちに罪を作るものです。

お盆を迎えるにあたっては、親たるものはご先祖を思いながら、我が姿をも深く反省するべきではないでしょうか。


さて、お釈迦さまは目連の嘆きを聞かれて、七月十五日の衆僧自恣(しゅうそうじし)の日に、百味五果(ひゃくみごか)の供養をしなさいと。その供養の徳によってすくわれとお説きになりました。そのお経には亡き父母だけではなく過去七世(しちせ)の父母までも救われると説いてあります。


※自恣の日とは、仏教徒が一定期間中、反省と学習をして、それが終わって最後の日に修行僧が互いに自己の犯した罪を告白し、懺悔して許しを乞う日です。


※お盆の趣旨は、大衆供養の徳を勧めてあります。


お盆のお経には、親の恩に報いることの大切さを教えてありますが、大乗仏教の縁起思想からいえば、親は子の恩を知り、先生は生徒の恩を知り、医師は患者の恩を知るようになるのです。


浄土真宗の教えからは、お盆のお経は第二十願の部類に入ります。浄土真宗の教えに第十八願の信心が肝要であります。

一生涯をかけて仏法聴聞しなければ、その深い教えはわかりません。


たわむれに母を背負いて そのあまりかろきに

泣きて 三歩あゆまず[石川啄木]


お経には、目連が母に飯を食べさせたいと思っても、その口に入る前に「化して火炭となる」とあります。飯を食べたくても食べられないというその苦しみを倒懸の苦しみと言われたのではないでしょうか。

近年では、あまりに豊かになり過ぎてわからないのかも知れませんが、ゆっくり考えてみたいものではないでしょうか。


地獄はきっとこの世界より暑いんでしょうね。

この暑さでも極楽、極楽と思えるほどに。

「知足」(足るを知る)を心にかけて生きたいものですね。

熱中症にはくれぐれも気をつけてください。

南無阿弥陀仏

閲覧数:32回

最新記事

すべて表示

Comentarios


bottom of page