皆さまこんにちは。暑くなりました。
寒暖の差で体調を崩さないように気をつけてくださいね。
私は久しぶりにオフで日頃疎かになっている事務に追われています。
明日からまたしばらくお仕事いただいています。
さて、4月は旧暦では親鸞聖人のお師匠の法然聖人がお生まれになられた月になります。
浄土宗ではお釈迦さまのお誕生日(花まつり)に合わせることがあるそうです。
法然聖人〈長承2年[1133]4月7日〜建暦2年[1212]1月25日【宣明歴】〉
【ユリウス歴】〈1133年5月13日〜1212年2月29日〉
承安5年[1175]、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえれば死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説かれました。
大師号は、円光大師他七つ。
《教え》
法然聖人は、善導大師の『観経疏』(かんぎょうしょ)によって、称名念仏による専修念仏を説かれました。
ここでは、顕密の修行のすべてを難行•雑行として退け、阿弥陀仏の本願力を堅く信じて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える易行のみが正行とされた。
「自力」の仏教を離れ「他力」の仏教に行き着いた。ここでいう「仏」は、もちろん死者のことではなく「真理を悟った人」の意味です。
仏教の目的は人が「仏」になることにあるのです。
「真理を悟った人」とは、すべての存在を「ありのまま」に見る「智慧」を獲得し、あらゆる人に対して平等の「慈悲」を実践できる人ということができる。
法然聖人の心をとらえたのは、このような「智慧」や「慈悲」の獲得が万人に開かれているのかどうか、という問題でした。
この問題に答えるために、法然聖人が見出した人間観こそ「凡夫」に他ならない。
「凡夫」とは、「煩悩」にとらわれた存在であります。
片時も欲望から離れることがない、欲望をコントロールできない存在であります。
それが普通の人間の姿です。
その普通の人間が欲望を持ったまま「仏」となる道が求められなければならない。
「凡夫」が「仏」になる教えも仏教にあるはずだ、と法然聖人は考えられました。
こうして発見されたのが、【阿弥陀仏の本願力によって救われていく称名念仏】であり、「浄土宗」なのです。
以下続く
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