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執筆者の写真超法寺の住職

当たり前なの?

更新日:2023年5月8日

『あたりまえ』

あたりまえ

こんなすばらしいことを みんなはなぜよろこばないのだろう

あたりまえであることを

お父さんがいる お母さんがいる

手が二本あって 足が二本ある

行きたいところへ自分で歩いてゆける

手をのばせばなんでもとれる

音が聞こえて声がでる

こんなしあわせはあるでしょうか

しかし だれもそれをよろこばない

あたりまえだ、と笑ってすます

食事がたべられる

夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた朝がくる

空気を胸いっぱいすえる

笑える 泣ける 叫ぶこともできる

走りまわれる

みんなあたりまえのこと

こんなすばらしいことを みんなは決してよろこばない

そのありがたさを知っているのは

それを失くした人たちだけ

なぜでしょう あたりまえ

         〈井村和清氏(医師)〉

※悪性腫瘍のため亡くなられた。お子さん、奥さまのお腹の中にいらっしゃるお子さんのために書き遺されました。



皆さまはどのように読み、どのように感じましたか?

仏さまの教えというものは、決して甘っちょろいものではありません。

『仏説無量寿経』に、

【身、自らこれにあたる、代る者あることなし】とあります。


悲しみもつらさも、自分の荷物は自分の荷物あとあきらかに見きわめ、覚悟を決めて背負わせていただき、そのことを通じて、仏さまの大きなおいのちに目覚めさせていただく教えなのであります。


仏教詩人 相田みつをさんは、

「いのちの根」に

なみだをこらえて かなしみにたえるとき

ぐちをいわずに くるしみにたえるとき

いいわけをしないで だまって批判にたえるとき いかりをおさえて 屈辱にたえるとき

あなたの目のいろがふかくなり いのちの根がふかくなる



なもあみだぶつ なもあみだ 弥陀にまかせた

浄土への道 今こうして今日もまた


なもあみだぶつ なもあみだ 喚んでくださる

親の声に ありがとうのお念仏



今朝もまたいつもと同じ朝が明けます。

決して昨日と同じ朝ではないのに。

また今日も愚痴と不足を言う私。

そんな愚かな私を永劫の彼方から変わらず喚び続けていてくださるあなたさまに気づかされ、我が身にいただきながら今日も生きていきます。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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