top of page
執筆者の写真超法寺の住職

仕事納め

皆さま、おはようございます。

今朝は茨城県稲敷市へ来ております。

2024[令和6]年最終日、大晦日の朝、

4時起きで130キロの道を走ってきました。

さすがに大晦日の朝だけに車もまばらでした。

ただ時間によっては渋滞があったらと早く出てきました。


今年もなかなか法務状況は厳しく、それでも何とか何とか凌がせていただきました。

葬儀も続けての依頼をいただきました。

遠いとか言っている場合ではありません。

ある縁を大切にしていきます。

悲しみの場に遇わせていただくことの意味合いをしっかりとたずねていきたいですね。


昨日は、ご宗家から、「丁寧なご法話をくださりありがとうございました。」とのお声をいただきました。


今年も色々ありました。

9月には17年寄り添ってくれた愛犬[次男]みやびが急死し、改めて世の無常を知らされました。思うようには生きられない。

川に沿って岸がある。

私に沿って救いがある。


苦悩が尽きない私。

悲しみが尽きない私。

思い通りにしたくて苦しむ私がいる。

真実などわかるはずもない私。


怒りにまかせて人に厳しくあたり、自分のモヤモヤを晴そうとする愚痴の生き方。

相手を思いやれない愚かな私。


人間は優しいのです。

優しい人間同士が互いに傷つけあっている。

好きな人には優しく、嫌いな人には永久凍土のように冷たくできる、これも凡夫のなせる術であります。

顔は笑っていても心は寒々しい私。

全部、阿弥陀さまにはわかっておられるのです。

わかった上で、阿弥陀さまは責めもせず、裁きもされないのです。

それに甘える煩悩具足の凡夫たる私。


どこまでいっても「煩悩具足の凡夫」は「我」から逃れられないのです。

昔から私たち人間は変わらない。

文句を言われたら腹が立ちます。

自分のものは取られたくない。

他人のものは取りたい。何にも変わらない。


いつもお話ししますが、遇うべき縁に遇わせていただけたというのに仲睦まじくできない。

「俺が」「私が」でいつも自分を立てようとするからお互いが傷ついてしまう。

都合がいい時だけ、「おかげ」などと言う。

阿弥陀さまのご本願のはたらきは「順縁」の中では力を発揮できない気がする。

やはり「逆縁」でこそ阿弥陀さまのご本願のおはたらきはこれ以上にないほど頼もしく感じます。


皆さまはどのように思われますか。

私はそう感じています。

今年も色々ありました。

来年も色々あるでしょう。

辛いことも悲しいことも苦しいことも。

それでも阿弥陀さまは常に私と共にあります。


それぞれは私のためにあるのです。

南無阿弥陀仏をお称えしながら「今」を生きていきたいと私は思います。

皆さまが嫌な思いをしても、皆さまが許してくださったから私がここにこうしていることができると思います。


予定より2時間早く着いたので、ゆっくり今年最後のブログを更新できました。

今年もブログを閲覧してくださりありがとうございました。

超法寺は開所8年目を迎えました。

また新たな方々とのお出会いを楽しみにしています。

体力の無い私が後どれだけ頑張れるかはわからないけど精一杯頑張りますので、皆さまのお知恵をお貸しいただけたら幸甚に思います。


最後に今年は大切な人を見送ったため、新年の賀状は三が日を過ぎてからお出しします。

ご容赦くださいませ。

それでは良いお年をお迎えください。


南無阿弥陀仏

閲覧数:14回

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page