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執筆者の写真超法寺の住職

『御文章』とは何か

更新日:7月22日

皆さま、こんばんは。

いや〜、めちゃくちゃ暑かったですね。

夕方にはなりましたがまだまだ暑い。

熱中夜になりそうですね。

こまめに水分(カフェインレス)を補給しましょう。エナジードリンクはやめてくださいね。

水をちびちび飲むのが一番です。


さて先日、『御文章』をブログに書きましたが不評でしたね。皆さまはあまり興味を持ってはくださらないのでしょうか、素晴らしい書物ですから。これがあったからこそ日本一の仏教教団に浄土真宗がなったとも言われています。

それ程素晴らしい内容だと思う。

近年では『御文章』よりも「拝読 浄土真宗のみ教え」の方が身近なのでしょうか。


『御文章』は本願寺第八世蓮如上人が[法名 信証院釈蓮如]書かれました。

蓮如上人が居られた時代は今では考えられないほど浄土真宗は廃れていました。本願寺にはお参りの方がまるで無かったと言われています。

蓮如上人は、「お念仏の教えは、こんなに素晴らしいのに、どうして人々にわかってもらえないのだろうか」と考えておられました。

新しい伝道の方法を考え続け、わかりやすく説かれる蓮如上人のお話は多くの方々の共感を得て、阿弥陀さまのお慈悲を喜ぶ人々が少しづつ増えてきました。

今では蓮如上人を中興の祖と呼んでいます。


『御文章』は当時のお手紙です。全国のご門徒にこれが親鸞聖人のみ教えですよと書いて送られていたのです。今で言えばメールやブログなんでしょうね。


『御文』はこれ凡夫往生の鏡なり。

『御文』のうへに法門あるべきやうに思ふ人

あり。大きなる誤りなりと云々。


どのような人でも阿弥陀仏の浄土に往生できる教えの鏡だと言えます。『御文』に説かれている教え以外に凡夫が救われる教えがあるように思っている人がありますが、それはとんでもない心得違いであります。とあります。


人はなんのために生きているのでしょうか。

生まれたついでに死ぬまでの間を生きているのでしょうか。そうではありません。

「人は仏さまになる教えに遇うために生まれ、仏さまに成るために生きている」のです。


お釈迦さまは仏になる道を数多くお説きくださいました。この世の人の力量はさまざまです。

自分の力で仏になることができる人もあれば、どんなに頑張って努力しても仏さまになれない人もいるのです。阿弥陀さまは、何の条件もつけないで救ってくださる仏さまです。

どんな人も仏さまにしてくださる本願力(仏力)をもって、それを南無阿弥陀仏の声として私たちに受けとりやすく、称えやすく、保ちやすい形となってはたらいていてくださるのです。そのはたらきを名号と言います。


蓮如上人が本願寺の住職になって4年が経った47歳の寛正二年のことです。

若い頃から親しくしていた道西(どうさい)から、「親鸞さまの教えを、自分のような愚かなものでもわかるように書いてください」と頼まれたのでした。

この時に、前々から考えていた手紙形式で親鸞さまの教えを簡単に書いて授与されました。

これが『御文章』の最初だと言われています。

※「御筆(おふで)始めの御文章」と呼び、『帖外御文章』第一通です。


○『御文章』は、親鸞さまの教えがわかりやすく書いてあると共に、お念仏の教えを間違えて理解されている異安心(いあんじん)への厳しい批判がされていることも注目しなければなりません。


道隠の『御文明燈しょう』に、『御文章』が書かれた理由が三つ紹介されています。

①末代の凡愚を誘引するための故に。

(どんな人にも浄土真宗の正しい教えに導き引き入れて、信心獲得させる為)


②邪路を捨て正路に帰せしめる為の故に。

(当時に流行っていた十劫(じっこう)邪義•善知識だのみ•おがまず秘事などの邪執を捨てさせて、正しい浄土真宗の教えに目覚めさせるために書かれた)

③相承の安心を光顕する為の故に。

(弥陀をたのむということは、一心に阿弥陀如来後生たすけたまへと念持するのが一念帰命の信心であることを『御文章』に書き、親鸞さまが伝えている阿弥陀のお心を顕した)

このような経緯で内容が記されているのです。とても素晴らしい内容なのでしょう。 目で聞くんじゃなくて、耳でお聴聞するのです。ですから『御文章』を拝読する時は、頭を軽く下げて、耳を済ませてお聞かせいただくのです。是非やってみてください。 少しづつ、スゥッと入ってきますよ。

またご紹介しますね。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

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