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執筆者の写真超法寺の住職

み教え仰ぎ

皆さま、おはようございます。

今朝は熊谷市からおはようございます。

今日は深谷(渋沢栄一さんの街)でご縁をいただきます。さすがは熊谷市ですね、朝から新幹線が走る音が賑やかであります。

爽やかな日差しでよし、今日も頑張るぞ〜の思いであります。


今朝は浄土真宗のお彼岸についてご紹介します。【お彼岸】とは、悟りを開いた状態を意味する言葉です。インドの言語では「パーラミター」(波羅蜜多)と言い、漢訳しますと【到彼岸】、更にこれを和訳すると【悟りの境界に到達した】という意味になります。

昔より仏教では、二つの形を通して迷いの世界から悟りの境界へ向う私たちの人生の歩みを見つめてきました。

一つには東から西へ沈む太陽の軌跡を移り変わりの人生にたとえて、二つには大河の深さと荒波を人間の煩悩にたとえています。


七高僧のおひとり、中国の導綽禅師の『安楽集』に、【いにしえより人は、太陽の軌跡を人生になぞらえ、朝日が昇る東の方向に命の誕生を見つめ、夕日が沈む西の方向に命が終わる死を感じてきました。】

現代でも、人生の終わりを【晩年】と表現することからも想像つきますよね。

導綽禅師は、阿弥陀さまは私たちに悟りの境界に仏と生まれる人生であることを教えるために、西方に浄土をお開きくださったと受け止めておられます。


また善導大師の『観経しょ』には一年の中で特に春分と秋分は、太陽の軌跡が真東から真西へ移動することから、阿弥陀さまの西方浄土を願生することに最も適している仏道修行の時節であると示されています。


二つには、お釈迦さまは私たちの人生を母なる大河、ガンジスにたとえ、迷える苦悩の世界を【此岸】、悟りの境界を【彼岸】と表し、私たちの人生の目的は、迷いを超えて生死(しょうじ)の河を渡り、悟りの境界に到達することにあると教えられています。

【二河白道の譬え】(にがびゃくどうのたとえ)

が有名ですね。


西方に向かって歩む旅人の目の前に、突如として「火の河」と「水の河」が行く手を遮り、その間に一本の細い道しかありません。

荒れ狂う「火の河」は、人間の思い通りにならない時の人間の怒りの激しさ【瞋恚(しんに)】を表し、底知れぬ「水の河」は、人間の貪りの心の深さ【貪欲】(とんよく)を表しています。

そこには、時の流れと複雑な人間関係の世の中で、正しい智慧を持たない私たちの心の闇【愚痴】(ぐち)が原因としてあるのです。


親鸞聖人は、『教行信証』に、そのような苦悩に包まれた私たちの生死を摂め(おさめ)取って捨てない西方浄土からの阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきは、まさに「渡りがたき苦悩の海を浄土へ渡す大いなる慈悲の船」であり、「すべてを平等に照らす太陽の如き智慧の輝き」であったと喜ばれ、南無阿弥陀仏ひとすじの道をお伝えくださったのでした。


浄土真宗のご門徒は、普段なかなか忙しくて時間と心に余裕なない方も、お彼岸には身近な方のお墓参りをご縁として【南無阿弥陀仏••••••】とお念仏を申すことを大切にされます。


「叱られた、ご恩を忘れず、墓参り」


南無阿弥陀仏というお念仏は、すべてを平等に包み込んでいてくださる阿弥陀さまのお慈悲の心を聞かせていただくのですから、【お念仏をいただく】と言います。

そのお慈悲の中で振り返ってみれぱ、我が親が私を思って「叱ってくれた」ことのご恩に気づかせていただきたいものですね。


私は父からはとにかく父が亡くなる前までずっとずっと•••叱られ、怒られた人生でした。怯えながらずっとずっと生きてきました。北風が荒れ狂うような父でありました。我が母は、太陽のような人でした。今思えば良いバランスだったのかも知れませんね。

もっと父から学びたかったな、もう間に合わないけどね。気難しい人でした。

しかし今になればそれも有り難いです。


我が人生を振り返りながら、懐かしい人との語らいの場でありたいものです。そこには必ず意味がありましたからね。

今日も良き日をお過ごしください。

南無阿弥陀仏(-∧-)合掌・・・


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