皆さま、こんばんは。
夕方、我が家の真裏の家に消防車3台に救急車1台が来るという事態に驚かされました。
何があったかはわからなかったけど、幸いにも火の手も上がらず、救急搬送された方もなかったようでした。普段は本当に静かな住宅街ですのでびっくりしました。
最近では早朝に救急車が来ることはたまに見かけるが(コロナかはたまた)消防車が来るなんて初めてだったよ。
これからストーブの季節になりますから用心せよとのご催促かも知れませんね。
さて、ゲッターズ飯田さんがYouTubeで、来年から劇的に世の中が変わると言っておられました。
今までの概念がガラッと変わるほどのことらしい。
昨今のコロナ禍で、若者の生活がガラッと変わってきたそうです。
例えばテレビを見なくなったようです。
もう何ヶ月もテレビを見ないから電源抜いているらしいよ。
ではどうしているのか。
Netflixなどにシフトしているみたいだ。
確かにNHKなんか観ないのに【法律でテレビを所持していたら強制的に受信料徴収】
そんな詐欺紛いな法律を盾にしていたりする。
某団体でも、やたらと【規約で決まっている】と、いつの時代の内容かよ、と思うようなものを盾に脅したりしていますからね、参りますよ。
がんじがらめでやってみても現実はなかなかそのようにできているとは限らないものなのにね。
しかし小作人扱いの側は従わざるを得ない厳しさがあります。
そんな大人社会のルールを若者たちはどう思って生きているのだろうか。
最近よく考えます。
尾崎豊さんの名曲『太陽の破片』は素晴らしい。
昨晩(ゆうべ)眠れずに 失望と戦った
君が悲しく見える 街が悲しいから
昨晩 一晩中 欲望と戦った
君を包むもの全てが 僕を壊すから
すり変わってゆく現実との はざまに
描いた夢が 愛を傷つける
暮しはただ 街明りに照らされ
何を信じるの どこへ向かうの
僕の手も握らずに 消えるのは何故
誰も手をさしのべず 何かにおびえるなら
自由 平和 そして 愛を何で示すのか
だから 一晩中 絶望と戦った
僕はただ 清らかな 愛を信じている
目をつぶってみる 涙がほら渇くまでの間に
忘れられるさ 破れた約束の前で
人はいつも 偽りつづける だけど
君を もう欲望の果てに ただ
奪われたくはない
君を守りたい 悲しみ こぼれぬよう
あわれみが 今希望の内に生まれるよう
もし君が 暗闇に光を求めるなら
ごらん 僕を 太陽の破片が頬をつたう
昨晩 眠れずに
昨晩 眠れずに
夜のヒットスタジオでこの曲を聞いたとき、何かが
僕の胸に突き刺さったよ。
今でもたまに一人カラオケで歌いたくなる。
尾崎豊、彼がどのような【闇】を抱えて生きていたのかを僕の人生と重ね合わせながら考える。
今の10代20代の若者は面白い発想をしている。
◉今流行っている言葉の第3位に、
【生きるw ww】26.0%
⤵️
良くない時に「死ぬ」と発言するのではなく「生きるw ww」と発言しよう!とTikTokに投稿があったものにハッシュタグ付で広まっていたらしい。
若者たちはとかく生き死に無頓着なイメージがありましたが、きちんと考えているのには正直驚かされました。
ポジティブ思考の大切さを自覚したいものです。
まさに浄土真宗のみ教えそのものがポジティブ。
今は亡き永六輔さんも、デビュー曲の詩に、
[生きるということは 誰かに借りを作ること 生きていくということは その借りを返してゆくこと誰かに借りたら 誰かに返そう 誰かにそうして貰ったように 誰かにそうしてあげよう]
素晴らしいことですね。
人は一人では生きれないのだから。
間違っても自分だけ頑張っているなどと思わないでほしい。それが一番愚かな生き方だから。
身近な歌が言葉が私の今生きるべき道を明らかにしてくれています。
私たち大人こそ、日頃から「死ね」「殺す」「いなくなれ」みたいな言葉を使わないようにするべきです。子どもたちはよ〜く聞いていますよ。
そんな言葉を簡単に発する大人なんか尊敬などするわけないから。
人間は思ってもいないことは言葉として発しません。何を仰いで生きていくのかを問うて生きていきたいと私は常々思っています。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
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